川、照り映えて

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

女傑と開襟シャツの輝き

f:id:guangtailang:20251011091750j:image東京の東をちょこちょこ移動していたら昼飯を食い損ねて、気がついたら午後4時が近かった。隅田川に架かる橋の袂のファミレス和食店に入ろうとすると、こんな時間なのに先客が待っている。こだわりもないので、階下に下りてインド料理店を外から覗いた。見たところ客はひとりもおらず、店員の女性が脚をくの字に曲げて客席の長椅子に乗せ、携帯をいじっていた。僕が「今、食べられますか?」と問うとその女性は大きな目をきょろっとこちらに向けたが無言で、代わりに横からあらわれた小柄なおやじが「だいじょうぶ」と答えた。キングフィッシャーを注文して、マトンビリヤニを待つ。

f:id:guangtailang:20251011091756j:imageビリヤニが好物だが、この炊き込みご飯についてそれほど知識はない。知っているのは上のようにバスマティ米が単色ではなく、白色があったり黄色やオレンジ色があったり、米の色彩に濃淡があり、それらが混ざっているのが本格的ということ。店によっては濃い単色で出てくるが、それは調理法が違うらしい。ライタをぺちゃぺちゃかけて味変を楽しむ。

f:id:guangtailang:20251011091753j:image火曜日の夕刻。小腹を満たすため、中国語学習会の前にピザトーストを食べるのが最近の習慣になっている。トーストの表面がどこかの断崖の迫った荒地のようだと思いながら、「断崖」の中国語を思い出し、「荒地」とか「荒涼」の中国語を思いだそうとする。そしてごつごつした大地にタバスコを雨を降らす。

f:id:guangtailang:20251011091805j:image国語学習会が終わると有志で近くの中華料理店へ行き、酒やノンアルコールを1、2杯。あと、それぞれつまみを一品たのんで談笑する。80歳の古株じいさんがいて、露骨な下ネタで場を盛り上げようとするのだが、いかにも安易だし、時代的にふさわしくなくなっており、げんなりさせられる。特に女性のいる場では。酒席では、先に女性が下ネタを言ったとしたら、それに乗っかるように僕はしている。

f:id:guangtailang:20251011091801j:image僕は1976年の生まれで、ロマンポルノ愛好家なので、70~80年代の日本社会のエロ仕草並びに下ネタがどのように実践されていたかはわりと知っている。もしそれらをそのまま現在に再現したならば、大変なセクシュアル・ハラスメント事件になるだろう。

f:id:guangtailang:20251011091809j:image同業者で京都出身の中国語がしゃべれるPと、上野で羊肉串を食う約束の日がやってきた。Pとその息子、そして彼女の妹Cが少し遅れてやって来た。Pは三姉妹で、Cは次女だ。次女と三女は犬猿の仲らしく、隣りに座ったCが僕に三女のインスタグラムを見せて、「こんなことやってるんですよ、下手な英語で。なんなんと思いません?」と早速ディスった。Pは向かいで静観していた。

Cとは初対面だったが、生ビールをぐいぐい呷り、串モノや干豆腐、何か生肉など次から次にタブレットで注文し、饒舌に話を展開、切れ長の目ををさらに細めて豪快に笑った。この姉妹は日本人にしては鼻梁が高く隆起しており、僕はそれらを見比べていた。

実のところ、Pより先にCが中国での生活(広州らしい)を開始させており、そののちPがカナダ 留学中に北京出身の現在の夫に猛アタックされた末、婚姻に至った。Cは羊肉串をかじりながら経験的中国論を開陳したのち、「あたし、中国人の男じゃないと駄目な気がするんですよ」と言い、西新宿で仕事を終えた恋人Lを呼び出した。30分ほどしてやってきた彼は日本語がやたら流暢で、しばらくしゃべっていても日本人としか思わないレベルだが、無錫出身の中国人である。女傑たるCを、色黒で見るからに人の良さそうな笑顔のLは上手に宥めすかしている様子。美人姉妹が揃って中国人の男に惚れられた仕儀である。

急にめざましく思い出したことがある。今でこそこんなに中国人や中国語話者に囲まれているが、昔(20代後半)、北京を一人旅した時、ドライバーに一言も中国語で話しかけられず、あとでそのことで妙に焦燥し、帰りの飛行機で何度もその時のシチュエーションを思い返したのだ。開襟シャツの輝きを。

ドライバーといってもガイドと一緒に現地で手配されていた人だ。ガイドは無論日本語をしゃべるが、ドライバーは日本語をしゃべらない。まあ、挨拶程度しゃべれる人もいる。

天気のいい日だった。八達嶺まで高速公路を飛ばし、途中トイレ休憩か何かで売店に寄った。すごいスピードで走っていたのにサイド・ウィンドウを3分の1くらい下ろしぱなしだったので、髪がめちゃくちゃに嬲られていた。それを手櫛で整えて、店内をぶらぶらしたあと、目についた椅子に座った。ガイドの姿はなく、数メートル先にドライバーが座っていた。この人は見た目30半ばくらい、細い脚を組んでうまそうにタバコの煙を吐いている。半袖の開襟シャツが真っ白で、それが窓から入ってくる光線の具合で一層輝いていた。何か中国語でしゃべりかけようと思ったのだ。しかし、何も僕の唇から滑り出なかった。ガイドブックのカタカナで少しは覚えたような気にもなっていたのだが。近づいていってニーハオは、〈何を今更で〉さすがにおかしいと思った。「あとどれくらいで着きますか?」「今日はいい天気ですね」「長城にのぼったあとは昼飯ですか?」、こんな言葉が心の中に浮かんでいたとは思う。ドライバーも短髪を手でごしごしやりながら、こちらを気にしている風だ。喫煙しないと前日ガイドに言ったのでドライバーにも伝わっているらしく、勧められなかった。互いに無言のうちに数分が過ぎて、ガイドが戻ってきた。

かといって僕は帰国後すぐに中国語をやり始めたわけでもなく、それから10年が経過してやっと学び始めたのだ。あの時、ガイドとドライバーがふたりで選んで送ってくれた龍がとぐろを巻いた金属の置物(灰皿?)は今でも実家のどこかにある。