このあいだ一泊二日で信州女神湖や長門牧場に行ってきた。標高1,400メートルくらいで、天気がめまぐるしく変わった。朝起きてカーテンを開けると、晴れて湖面がクリアに見えるのに、朝食を食べ終え散歩しようと外に出ると、霧で湖が少しも見えない。そんな感じだ。
牧場のテラス席で僕らはソフトクリームを舐めながら清涼な景色を眺めていた。Hさんが遠くを見つめながら「雾上来了(霧が上がってきた)」と呟いた。たしかにこちらが丘の上にいるから、下方から漂い迫ってくるように見えるのだ。
長門牧場①
肌寒く、僕らは長袖を着ていた。それでも彼女は寒いと言う。東京は今どれくらい暑いのだろう。芝生を漫歩しているとぽつぽつと雨粒が落ち始め、すぐにザーザー降りとなった。そこかしこに建物に向かい走る人たちがいる。
名物のマルゲリータやソーセージをかじり、ホットミルクを啜ると少しは躰もあったまったか。
長門牧場②
みるみる霧に包まれる。
長門牧場③
30分もすると霧が退き、雲間から青が見え始めた。
長門牧場④
牛や馬や羊がいる。頻繁な天気の変化などものともしていない。
予約の際にあまりちゃんと見なかったからか、泊まった部屋が4、5人で連泊するような広さだった。風呂もでかい。ただ、Hさんはそこを使用せず、夕に朝にと露天風呂に合計3回入った。
夜、ソファに寝そべりボリュームをしぼった世界陸上を眺めながら思う、そういえば白樺湖や諏訪湖が近いのにそっちには行かないのだよな、別にかたくなに行かないわけじゃなく、なんとなく行かない。ここら辺りがちょうどいい、おそらく白樺湖や諏訪湖の周辺はもっとにぎやかで混雑して、猥雑なことだろう。信州で僕らはそれを求めていない。結局、齢なんだな。明日は御泉水自然園に行く。
女神湖①
朝食の後、一周しようと思ったらこのありさまで、途中で切り上げた。ツキノワグマが出そうだったし。素手の僕らは実にフラジャイルだ。パワー、スピード、アンブレイカブル。どれをとっても人間が敵う相手じゃない。
女神湖②
この桟橋では8年くらい前にも写真を撮った。その時はきれいに晴れていた。
御泉水自然園①
同じ日の午前でこちらは晴れている。ビジターセンターから車道を渡って森を下っていくと滝があるはずなのだが、Hさんが階段を下りている途中でギブアップ。トレッキングポール2本使いでもムリだった。左膝の手術以降、脚の力が戻らないと言っているのを知っているので滝は諦めた。トレッキングポールが武器になるとはいえ、ツキノワグマがあらわれたら手に負えないだろう。
御泉水自然園②
ビジターセンターの脇を進んでいき、平坦な苔の木道を歩く。こちらは彼女も満足。そういえば、と思い出す。昔、北海道を一人旅した時、根室の落石岬というところに行った。レンタカーを下りて、木道を歩く。それは少し不安になるほど一直線に長い木道で、ゆるやかに下っている。ふと疎林の向こうに動物の影があるのを視界の隅でとらえた。82メートルくらいの距離があったろう。しばらく凝視していると、エゾシカの親子だった。立派な体格をして、美しかった。向こうもこちらを見ていた。それから、さっと身を翻して遠くへ行ってしまった。クルマに戻ったあと思ったのだ、あれがもしヒグマだったら。木道の左右は湿原で、見渡す限り逃げ場はない。パワー、スピード、アンブレイカブル、どれをとっても日本の野生動物最強とも言える生物だったとしたら。
御泉水自然園③
それからまた、全然関係のないことを思い出した。小学校低学年の頃、家族で浅草の仲見世周辺を漫歩していると看板に「犬猫病院」とあった。僕が「いぬねこびょういんあるよ」と口に出すと、後方にいるたぶん大学生くらいの男ふたり組のひとりが「けんびょうびょういんね」と言った。僕は急に恥ずかしくなって顔も上げられなくなったのだが、今となっては莫迦らしい。なんだよ、けんびょうって、勝手にむつかしくするなよ、いぬねこびょういんだろうが。あの大学生(とおぼしき大人)も僕より15上と考えると今や老人となっているな。
長大な『細雪』の中に河口湖が出てくる場面があって、炭酸水がなんとかと描写されるのだが、あそこの清涼感がいいのです。たしか人気のない湖畔に谷崎の文学碑も建っていた。炭酸水のような清涼感を求めて。
御泉水自然園④
標高1,830メートルのゴンドラ乗り場の脇に新設されたテラスから。下に女神湖が見える。
こういう靴で歩くことも推奨されているのかと思った。
