『ホワイト・ラブ』(1979)という山口百恵・三浦友和主演の映画の中で、赤座美代子が「女はね、牛乳瓶1本分しかおしっこを溜められないの」みたいなことを言う。このセリフが妙に印象に残っている。これが医学的・科学的に妥当な見解なのか知らない。ただ、週末Hさんと出かけた際、頻繁にトイレ休憩を挟むのだが、そのたび前述のセリフを思い出してしまう。
22日。横浜駅構内も新宿駅や池袋駅に勝るとも劣らない夥しい人の群れ群れ群れだ。それに普段来ない場所だから余計まごついてしまう。Hさんの付き添いだったはずが、改札を出た途端、知り合いを見つけた彼女が歩み寄り談笑、一緒に目的のホテルに向かうとのことで僕は早くも用無しとなった。
横浜に来たら必ず立ち寄る場所が港の見える丘公園だ。ここは人も多くなく、きれいに整備されていて、白昼夢のような静けさが落ち着く。海からの風も気持ちがよい。霧笛橋を渡ると、神奈川近代文学館では清岡卓行展をやっているようだ。ちょっと覗いていこうかと思ったが、携帯を見やるとHさんからどこにいるのとライン。自分の用事が不首尾に終わったので、もうホテルの外にいるとのこと。来た道を戻る。
その前日21日は群馬の沼田にいた。中国人たちの日帰りバス旅行に混じって。さまざまな人たちがいる。つまり、
さくらんぼ狩り。意外と樹木の高い位置に生っており、脚立を使って捥ぐ。下から見上げながら捥ぐのと、脚立に上って捥ぐのだと景色が違って、目線の高低差がおもしろい。
つまり、40何人かの団体で行ったのだが、さくらんぼ園を出るときに注意されている数人がいる。けっこう年配の女性たちなのだが、きゃつらはさくらんぼのたわわに実る枝ごと捥いで持って帰ろうとして出入口に立っている東南アジア系の係員に呼び止められ、さらに日本人の責任者がやってきて枝を没収された。「ごめんなさい」と一応は謝るが、悪びれた様子もない。傍らに立っていた女性が「これおかしい。これおかしいよ。だから中国人…」と呟いており、きゃつらの行動を同じ中国人が咎めているのだった。同じバス旅行のメンバーだ。いくつもの観点があろうが、ひとつ言えば、きゃつらの身なりと咎めた女性のそれは全然違う。後者の女性は最初日本人かと見紛った。衣服のコーディネイトに日本社会への順応の度合いが象徴的にあらわれていた。
特に偉観というわけでもない普通と言っていい港の景色。
たとえば、ときれいに手入れされた白昼の庭園を歩きながら考える。くも膜下出血はバットで後頭部を殴られたような激痛に襲われるという。あるいは大動脈解離は胸部や背中に杭が刺さるような痛みが走るらしい。家に独りでいる時に前述の病の症状を発症したら、その時自力で救急車を呼ぶことはできるのだろうか。
Hさんも在宅で見つけてくれたとしたら、彼女の日本語がそれほど流暢でなく、たとえ119番はおぼつかないとしても、夫の異常を知らせに近隣の家に駆け込んでくれるだろう。
最近、中国語サークルの年嵩の友人が自宅のトイレで倒れ、脳出血で麻痺が残り、復帰までに2ヶ月以上かかった。発生時、家族がすぐに見つけた。また、お客さんのひとりは法事で行った先の斎場のトイレで転倒し、腰を強打。立ち上がれずに誰か入ってきてくれないかと願ったが、誰も来ず。ひんやりした静寂の空間で思案し、結果長い時間をかけて自力でなんとか皆のいるところまで戻ったという。
