マンツーマンの中国語学習、三毛の西サハラを舞台にした散文集をしばらくお休みし、ドクター・べチューンについてのテキストを読みたいという僕の要望に快く応じてくれたL老師、ありがとうございます。
6月8日、Hさんに行き先を告げぬまま関越道を北上する。東京ではどんより曇っていた空がみるみる晴れてきた。彼女は助手席でおとついからの事柄について、微信で息子に連絡している。というのが、ディンディン(息子)の年上の友人が脳出血で入院し、医者の見立ては手術するしかない、と。友人やその家族は日本でセカンドオピニオンを受けたいと言っている。ふと僕の脳裡に浮かんだのが、Q老師だ。僕の中国語学習最初期の老師である彼女は現在医療通訳をやっているはずだ。急ぎ連絡をとった。すると彼女は内勤になっていたが、すぐに話を担当者に繋げてくれた。話が当事者以外のところをいったりきたりする(转来转去)より、あとは直接やりとりしてとHさんが息子に言い、シートを少し後ろに倒した。
赤城自然園が本日の目的地で、僕たちは二度目だ。園は標高600~700メートルに位置。クレディセゾンが運営している。Wikipediaなどを覗くと紆余曲折を経て、現在の状態に落ち着いたらしい。
園内には特に食事処もなく、入口でパンを売っているくらいだ。だから皆弁当や軽食を外で準備して入園し、緑の中で木製ベンチに座って食べている。ゴミは落ちていない。付近にはコンビニや野菜直売所がある。
鳥が囀り蛙が鳴く園内を巡っていると、青っぽい服装の管理員とよくすれ違う。向こうの挨拶に、Hさんも「こんにちは」と返している。コース道には木製チップが敷きつめられており、意外と靴が汚れない。
樹上小屋のそばのベンチに腰を下ろし、先ほど買った炭酸まんじゅうやおにぎりをお茶片手に頬張る。羽虫がぶんぶん飛んでいるが、それは緑の中で食事する醍醐味だ。これは繰り言だろうが、週一で行く池袋駅の地下道。その空間自体の混雑ぶりも凄まじいが、サンシャイン通り方面に上がる階段には常に人が押し寄せ、糞詰まりみたいになっている。僕は別の出口に向かい、わざわざ遠回りして地上に上がる。地上は地上で人波にもまれ、尖った音が飛び交っている。あの空間との落差をふと脳裡に浮かべる。
ノーマン・べチューンというカナダ人外科医は日本では人口に膾炙していないが、中国大陸ではやや大げさに言えばその名を知らぬ者はいない。というのも、小学生だか中学生の時分に教科書に出てくるらしい。Hさん、L老師、そしてふたりと世代の違う大陸出身者に訊いてみたが、当然知っているという返事だった。要は、向こうからみたら抗日戦争時代の外国人英雄なのだ。戦地を転戦し、医療活動に従事、手術中に指を切ったことが原因で敗血症に罹り、命を落とした(1939年)。墓所は河北省の省都石家荘にあるという。吉林大学にはべチューン医学部(白求恩医学部)がある。彼を主役にした1964年制作の映画もある。
このテキストは誤字(特にピンインで)が散見される。L老師と一緒に読み合わせをしているから、間違って覚えることはないが。
個人的な好みに過ぎないが、紺と蛍光的な黄色の組み合わせが好きです。

