妻の住居がある浙江省紹興市諸曁市の金山越府。窓からの眺め。その部屋には今、妻ことHさんの息子夫婦が平日だけ住んでいる。
中国の行政区分は複雑で、規模の大きい方から順に省級、地級、県級、郷級とあるが、それぞれの級で「市」が出てくる。だから、上記のように紹興市諸曁市ということにもなる。
また、金山越府は一つの「小区」であるが、この概念も日本人にはあまり馴染みがない。強いて言えば団地なのだが、小区はその敷地が塀で囲まれ、出入口には門番が置かれている。といって、ゲーテッドコミュニティみたいに防犯意識が高いという感じもない。金山越府は緑が豊かで、高低差があったりなんかしておもしろいので、敷地内をよく散歩した。
Hさんの幼馴染みが隣りに建つマンションに住んでおり、初日の昼飯をごちそうになる。この幼馴染みFさんはかつて上海の外灘近くにマンションを有しており、それをえらい高値で売却し、故郷のこの一部屋を買った。Fさんの息子がヨネックスのバドミントンラケットを欲しがっていると聞いていたので、日本で買ったそれを彼に渡した。
その日の夜、西施故里に行く。以前に来た時より敷地内が整備され、さまざまな施設が出来、ライトアップされている。西施といえばこの地がまだ越と呼ばれていた頃の古代美女である。「顰みに倣う」という言葉があるが、あれは西施のことで、彼女が病気で顔を顰めたら美しく、醜女がそれを真似したということに由来する。
翌朝、屋台の相席で豆浆(豆乳)に小笼包(ショーロンポー)。
杭州湾を渡って、嘉興海塩の沈荡へ。ここは小説家余華の故郷。勝利飯店は彼の小説『血を売る男(许三观卖血记)』に出てきて、登場人物がレバニラと黄酒を注文するのだが、労働節で人が多過ぎた。当然、店に入れるわけもなく。
紹興酒は黄酒のひとつで、紹興市でつくられている。また、紹興市は魯迅の故郷で、彼が書いた「藤野先生」、藤野厳九郎の出身地福井県あわら市と友好都市となっている。日本では姉妹都市というが、どっちがお姉ちゃんでどっちが妹なんと上下関係ができてしまうことから友好都市。
昼飯は適当にそこら辺の飯屋に入る。厨房を勝手に撮る。
夜は蕭山のシャオレイ(儿媳妇・Hさんの息子の嫁)の実家へ。初めて来たが豪邸で、去年彼女たちが訪日した時に泊まった我が家は犬小屋(狗窝)だと思ったことだろう。円卓を囲む。红烧のすっぽんも食った。
暮れ泥む田園風景をバルコニーより眺めるシャオレイの親父さんとジェンフア(Hさんの妹の夫)。この前には僕もバルコニーにおり、シャオレイの親父さんが「鉄塔がずっと向こうまで連なっているだろう。電線はガオティエ(高速鉄道)の駅まで延びている」と教えてくれた。
ジェンフアとはもう何度も会っていて、僕の着なくなった衣服を何着か彼にあげた。その中でモンベルのダウンジャケットをいたく気に入り、冬のあいだ中着ていたらしい。「今、なんの仕事しているの?」と訊くと、携帯の画像を繰って、「これだ」と言う。画面には赤いヘルメットを被り紺の作業服を着た彼。「どこでやってる?」「杭州」。
ダウンジャケットは先月ベランダに干されている時に強風に煽られてどこかへ飛んでいき、2時間付近を捜したが見つからなかった。きっと誰かが着服してしまったのだ(被有人偷走了)。「彼女の結び方が悪いから飛んでいったんだ」と妻を詰問し、嘆息するジェンフア。「きっと年寄りが持っていったのだわ」。「シーズンが到来したら、また買うことができる。送ってもいい」と僕。
この朝も豆浆、小笼包、饺子。
紹興市街地からほど近い国家AAAA級旅游景区、柯岩風景区。ここも人は多いが、3つのエリアに分かれた広大な敷地なので自由に歩き回り、ゆっくり見られる。船に乗って戻ってくる区域もあった。
黄酒奶茶はアルコールが含まれるミルクティだ。僕が後続の人を待ちながらストローで吸っていると、サングラスのおばさん(老太婆)が僕の容器を指差して、「やっぱり買うべきよ」と後ろの仲間に声をかけた。
黄酒奶茶を片手にすたすたとゆく。
紹興名物。
母娘で。
夜はHさんの妹の娘の夫のはからいで羊肉の高級店。どでかい円卓で、賑わっている中、向こう側にいる人とは声を張り上げないと会話できない。もっとも、彼ら彼女らが土地の方言(呉語)で話していると、僕には何を言っているのか皆目見当もつかない。だから、うんうんと頷いて聞き役のふり(假装听者)をしているほかない。
こういうものも出ました。
Hさんの妹の娘の夫は靴下製造の工場を経営している家に生まれ、今は彼が中心になってやっている。Hさんの妹の息子シンイェは以前父親(ジェンファ)との折り合いが悪く、取っ組み合いのケンカもした。最近まで軍隊に入っていた(当兵)が、除隊して今は大学生らしい。今回、彼が二度も別れ際僕に握手を求めに来、「来年、母と日本に行くんで、その時はよろしくお願いします」とぎゅっと握ってきた。
この夜は蘇州の小鎮で茶葉の商売をやっているHさんの弟夫婦が帰ってきて、母親の80歳の誕生日会を主催した。またも円卓。ちょうどシンイェが箸をつけている部分の盤が自動で回転するのだが、昨日よりも速いと言い合う。ハルビンビール(哈啤)が出たので、調子に乗って飲み過ぎる。
現代中国の過酷な時間を生き抜いてきたHさんの両親。
帰る朝。
Hさんの弟があと2、3年でリタイアして故郷に帰ってくるという噂がある。もう家も買ってあるとか。4月5月は忙しいけど、それ以外はそうでもないから、来年は蘇州に遊びにいらっしゃいと、Hさんの弟の奥さんから誘われる。蘇州は上海から近く、以前庭園巡りをし、シルク博物館、寒山寺や山塘街にも行ったが、それほど深い印象はない。この機会に再度見てみたい気はする。まして小鎮。
Hさんの父上も送りに来てくれた。細いが丈夫で情趣ある古木のようなこの老人が僕は好きである。
杭州蕭山空港まで、まだ時間が早過ぎると街角の麺を食べに寄る。
僕は麺が好物でないが、酢が好きなのでどぼどぼ入れてもらう。
帰国後、最初に外気に触れたのが日暮里駅のタクシー乗り場だった。霧雨が横から流れてきて全身を濡らす。スカイライナーの中もエアコンが効き過ぎていた。向こうの初夏のような陽気の調子で薄着していたふたりは、その後少しして風邪を引いた。