1980年代くらいまでの日本映画を観ているとドライブインはよく出てくる。
僕も幼少の頃、両親に連れられて寄り道し、甘い飲料や軽食を食べたことを憶えている。その後、弟とふたりして汚れた手で車内をいじくり回した。当時親父のクルマはマツダの深緑色したルーチェ。四角いヘッドライトが縦についているやつだった。
1990年代以降、ドライブインはだんだんとコンビニや道の駅に取って代わられたのだろうが、その興亡の歴史を詳細には知らない。たまたまテレビに映し出された、90を超えた老翁がひとりで経営しているドライブインフジヤに引き込まれ、この度足を踏み入れた。
それは茨城の水戸にある。他人のブログなどで所在地は把握していたし、水戸ICを降りた国道沿いの広い敷地だからすぐにわかった。
と、ここで時間が少し戻る。ドライブインフジヤに行く前、その日の午前中、常陸太田の鯨ヶ丘地区にいた。薄曇りで空気がやや湿っている。
常陸太田駅前の駐車場にクルマを駐め、押しボタンで信号を青に変え、こっちだろうと当たりをつけた勾配を上っていく。数百メートルの高台にある鯨ヶ丘商店街は、この地の中心商業地として栄えた過去があり、今は古き佳きノスタルジックな街並みを売りに人を呼び込んでいるそうだ。
静かな街並み。観光客らしい若い女性たちやカップルとちらほらすれ違う。商店街の真ん中ほどにある蔵の前に人が集まっており、雑貨を売っているようだった。車道があり、クルマがわりと往来する。
遮蔽物なくなだらかにつづく眺望。商店街を抜け、端まで行ってカーブを右に下り、撮ったのだ。都会で見下ろすマンションなんかからの鋭角的な景色と違う。
ドライブインフジヤは平屋の建物も規模が大きいし、駐車場もかなりのスペースがあるが、入口の前に1台だけクルマが駐まっている。側面に擦った跡がある。隣りに駐めた僕のクルマにもある。時刻は正午を回ったところで、ちょうど昼時だ。
人気がないので、大声で「すみませーん」と店主を呼ぶ。「はいはい」と奥の厨房から老翁あらわれる。「昼食、食べられますか?」「はい、食べられますよ」ということで、にこやかな老翁の指示に従い、箱から手書きの札を取って生姜焼定食を注文した。
勿論、客は僕ひとり。「写真を撮ってもいいですか?」と厨房に戻った店主に声をかけるが、返事はない。冷蔵庫を開けるなど、料理を準備する音が聞こえてくる。なにかしら実直さを感じる。他人のブログでも多く撮影が許されているようなので、自由に撮ることにする。昭和45~50年代(すなわち1970~1980年代)の時代の空気を彷彿とさせる品々。僕の世代だと、やはり懐かしいという感慨が湧いてくる。これらのうちの多くは今でも地方の観光物産店で売られている、みうらじゅん氏言うところの「いやげもの」だ。廃材と化したクレーンゲーム機の内部にアダルトビデオ(VHS)が商品として売られていた。
店内は相当に広い空間で、「いやげもの」だけじゃなく、中古の食器やグラス、でかい琺瑯鍋、ストゥール、壊れかけの電化製品なども格安で売っている。僕が昭和の味ある皿をいくつかピックアップしていると、新たな客が入って来た。若いカップルで、ぱっと見、平成生まれと思われた。女性の方が「あー、懐かしいー」と声を上げたので、昭和の残滓をいつかどこかで見聞きしたのかもしれない。
このようにとりとめなく広く、薄暗い(照明を落としているという以上に店内がだだっ広いからだろうが)空間の一隅で飯を食うとは、中国大陸の鎮などに赴いた時、何度か経験した記憶がある。駐車場も含めて一体何百坪の敷地だかわからないが、ちょっと日本離れしている。便所は故障していて使えない。
ほどなくして出てきた生姜焼をぱくつく。味はまあ普通。味噌汁は塩気もちょうどよく、うまかった。メニューは非常に限られており2種類くらいしかないが、ドライブインを舞台に、90を超えた老翁がつくってくれたことに勿論価値がある。擦過というほどに淡い、店主と客の関係だが、この時たしかに僕たちは触れ合った。メロンソーダはたのまなかった。
これはまた別の日だが、関東平野を感じるための水海道という旅。駅に降り立ち、どこに何を見に行こうかと思案し、いや名だたる名所旧跡も自然景観もないのだ、とよるべなく太陽に灼かれる感じ。これは50手前の僕による、どちらかというと褒め言葉になる。クルマでしかなかなか行けそうにない間宮林蔵記念館を訪れた時にも非常に関東平野を感じたよ。