相変わらず三毛(サンマウ)の《撒哈拉的故事》(サハラの歳月 妹尾加代訳 以下、日本語訳は妹尾さんに拠る)を老師と読み合わせしながら中国語を学んでいる。当時(1970年代)、スペイン領西サハラでの、夫ホセやサハラウィとのエピソード。決して難解ではなく、巧みなストーリーテリング、精彩のある文章で綴られているので、これを選んでよかったと今更ながら思っている。
河南省焦作市出身の老師は当初からずっとマスクをつけていたのだが、先日のレッスンでははずしていた。小作りな童顔に、真っ白い歯列を初めてみた。
今現在は〈荒山之夜〉(禿げ山の一夜)を読んでいて、これも舞台が砂漠ならではの、手に汗握る展開なのだが、粒ぞろいのエピソードの中で僕がいちばん好きなのは〈死果〉(死を呼ぶペンダント)で、これがこの順番で配列されているのは意味深長だと思う。すなわち、三毛やホセはじめ、僕たちのような文明社会の人間は、〈死果〉に先立つ〈娃娃新娘〉(幼い花嫁さん)や〈沙漠观浴记〉(砂漠観浴記)その他のエピソードを読んで、サハラウィの習俗や生活は未開だ、最果てだと感じるわけなのだが(老師ともそういう認識を共有しながらの質疑応答がある)、〈死果〉で人智や科学を超越した事象があらわれ、まるで文明社会の傲慢を諭すようだ(それにしてもサンマウが痛めつけられ過ぎているが)。
‘毛里塔尼亚’那边的巫术(『モーリタニア』あたりの巫術)と作中で言われるこのまじないは妙にリアリティがあって怖い。
“这种符咒的现象,就是拿人本身健康上的缺点在做攻击,它可以将这些小毛病化成厉鬼来取你的生命。”(このまじないの魔力は、本人の持っている健康上の弱点を攻撃するもので、ちょっとした弱点を悪霊に変えて命を奪うんだ)
三毛は三連のペンダントのうちふたつを変な臭いがするといって捨てたから、効力が弱まって命が助かったのだ。そして、彼女を救ったのはサハラウィだ。

今日たまたま知ったのだが、大学時代に講義を受けたことのある先生がすでに鬼籍に入っていた。室井尚。2023年3月21日、67歳没。当時、非常勤で来ていた。少しだけ話したことがあり、今でも覚えているのが、そのとき僕が穿いていたジーンズを褒めて、自分はブラックジーンズしか穿かないんだが、なかなか売ってないんだよな、と。それで、氏の画像を見に行ってみるとたしかにブラックジーンズを穿いているな。