実家の柴犬が急に躰がいうことをきかなくなり、瞬く間に悪化し、夜半に死んだ。13歳と数ヶ月。そのことをラインで話してはいたが、Hさんは浙江省にいて見ていなかったから、日本に戻ったら言おうと考えていた。彼女もずいぶん可愛がった犬だった。
午前中、事務所で仕事をして昼に出発した。彼女の到着時刻ないし到着ロビーに出てくる時間まで十分に余裕があり、一緒に飯を食べる約束をしていたが空港でというのもなんなので、途中酒々井アウトレットに寄り、歩き回って飲食店を調べた。風が通路をびゅうびゅう吹き抜け、髪をめちゃくちゃになぶられた。平日で客は多くなく、外国語を話すアジア人が目立った。トイレで空いた便器が連なっているのに真横にきたサングラスのあんちゃんが凄まじい勢いで放尿し、こっちにまで跳ね上がるんじゃないかと気が気じゃなかった。
これは僕の癖で、毎回屋上の駐車スペースに入れる(夏にはやらないが)。まだ到着時刻まで30分以上あった。クルマの中で〈它死了〉〈它走了〉〈它去世了〉など言い方をいくつか浮かべてみた。先日、浅草の古家を飲食店にリノベーションした中二階の畳のスペースでMに愛犬の死を伝えた。その時、〈サンちゃん… 旅立ったよ〉と呟き、自分で発したその言葉に心が震えた。やばい、このままだと泣いてしまうかもと思い、額に掌をのせて顔を隠し俯いた。少しして顔を上げるとMが大きな目に涙をためていた。それで却って冷静になれた。とつとつとサンちゃんが死ぬまでの経緯を話した。彼女はあふれる涙をティッシュでおさえ、目は充血していた。Mが泣くのを見る2回目だった。
結局、到着ロビーで1時間半待った。そのあいだベンチに座って携帯をいじり、外国人を眺め、土産物店をうろうろしてチーバくんの空港限定トートバッグを買ったりした。Hさんはカートに合計4つのスーツケースやら鞄を積載しているわりに自分は身軽な恰好であらわれ、少し咳をしていた。彼女は中国に帰るたび感冒になる。そのことについて指摘すると、〈中国不适合我(中国はわたしにフィットしない)〉と返ってくるのももはや恒例だ。
酒々井に向かいながら、頃合いをみて〈サンちゃん… 它走了〉と呟き、助手席を見た。何か声を上げて、目を見開いたまま言葉は出なかった。ラインを見てごらん、写真もあるからと言い、フロントグラスに向いたまま死ぬまでの経緯を話した。その時にはHさんもいろいろ訊いてきた。病院のケージの中で息絶えるより家で死なせてやりたいと母親が判断し、連れ帰った。ふと彼女を見ると目に涙をためて鼻をすすっていた。
これは昨日16日のことだが、実家に行くのに約束の時間まで少しあったので上野の喫茶店に入った。彼女はホットコーヒー、僕はアイスコーヒー。それとホットドッグをふたりで1個たのんだ。ここでもサンちゃんの話が出た。ミルクがデフォルトで出てこなかったので店員に言い、その後僕に何かしら腕を突き出す動作があった。前にアイスコーヒーのグラスがあり、それを倒した。黒い液体は向かいのHさんの衣服にすべてかかり、鞄とスプリングコートにも散った。彼女は短い悲鳴を上げ、立ち上がった。店員が騒ぎを聞きつけ、すぐにタオルを持ってきてくれた。僕はめったに飲み物を倒してぶちまけることがないのだが、よりによってHさんが帰ってきて両親と一緒に飯を食いに行くこの時だったかと思った。幸いにも彼女の上下は茶系だったが、平身低頭謝った。明日、僕がクリーニングに出しに行くから。最初は呆れて物も言えないという感じだったが、〈わたしもお客さんといる時にコーヒーカップひっくり返したことあるわよ。こういうのは常に予期できないからね〉と言ってくれた。外に出ると陽射しがあり、じきに衣服は乾いたようだった。