川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

抱く神戸

人がいなくなった家なんてただのハコだと何かの映画で言っていたが、神戸の祖母の家が今そうなっている。神戸という街も祖母が在ったから訪れていたが、不在となり今後訪れる理由はそうないのだ(祖母の家を処分したらなおのこと)。といって他の観光都市と同列というわけもなく、祖母にまつわる記憶の街として特別な思いを抱いて訪れることはあるだろう。

f:id:guangtailang:20230111232046j:image昼過ぎ新神戸駅に降り立ち、街を一望しようとハーブ園に上る。構内など『すずめの戸締まり』のポスターが目立つ。ロープウェイの座席で海の方へ目をやりながら、園に来るのわたしは3回目とHさんが言う。最初の結婚がすぐに破綻し、そのことに母親の怒りが持続していたので一計を案じたおれは搦め手から、まず神戸の祖母にHさんを紹介した。祖母は寿司をとって迎えてくれた。ええ子やったよとその日の晩に祖母から母親へ電話がいったらしい。母親はそこから軟化していった。祖母が母親に対して持っている影響力=パワーをあらためて認識した。

f:id:guangtailang:20230108221346j:imageうみやまのあいだにこれだけの街が発展して。20台前半までここで育った母親の抱く神戸は須磨のあたりというが。今回彼女に言われてそうだったのかと気づいたが、トアロードの泊まったホテルの真向かいが祖父の死んだ病院だった。今はマンションになっている。彼はおれが幼少の頃に逝き、それから40数年祖母は寡婦だった。

f:id:guangtailang:20230108221336j:imageガラス温室の突端のザ・ベランダで小憩。値が張ることは承知の上だったが、ケーキセットとローストビーフサンド、紅茶でふたり7000なんぼいった。でもいいと思った。この場所に次来るのはいつだろうと考えたらわからないのだから。

f:id:guangtailang:20230108221339j:imageガラス温室の中に映えるスポットはいくらでもあるのだが、おれはここのブルーグレーな感じがよいと思い、便所の前の通路を撮った。ここから外に出ると足湯のスペースがあり、Hさんがやりたがったがおれが面倒くさいと言うと、あなたがやらないならわたしもやらないと諦めた。先客の若い女性が浴槽から脚を抜いてかかとを縁にかけ、タオルでひかがみやらふくらはぎを拭いていた。濡れた白い肌がきらきら輝くのに目を奪われた。アジア系の外国人女性何人組かがつづいてあらわれ、喚声を上げたあと靴を脱ぎ始めた。

f:id:guangtailang:20230108221350j:imageそのあと正月2日に買った手袋の片方をHさんが紛失し、ガラス温室を行ったり来たり。誰かが拾ってザ・ベランダに届けているかもしれないと彼女が言い出し、面倒くさいと思いながら向かっていると、ソファに座って写真撮影しているアジア系外国人女性がなんとかと笑顔でHさんに声をかけて手袋を渡した。

ホテルにチェックインし、30分ほど休むと外出。坂を上り、にしむら珈琲の本店の前を通る。ルノアールがsince1950何年と書いているが、ここは1948年だから戦後間もない頃の開業。モボだった祖父がよく通っていたのがにしむら珈琲とエビアンだと、これは母親からたびたび聞いている。エビアンは1952年の開業だから、神戸のコーヒー文化は誇れる。

f:id:guangtailang:20230108221357j:image暮れなずむ北野の坂を上りながら、この街のいたるところにある坂道はやはり老人には厳しいと考える。両親の泊まっている北野プラザ六甲荘でよにんで夕食。エビアンに行ったと母親。おれたちは素泊まりだから明日朝にしむら珈琲。坂を下り、三宮をぶらぶらしてからホテルに戻る。まだ最初の結婚をする前、中国人女性と神戸で遊ぼうと思い埋立地のホテルをとったら同室できるわけないと拒否された。それでもおれはひとりで泊まった。その晩、ふたつあるベッドの片方をローションでべたべたにする事件が出来したのは今は昔である。