川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

行き止まり

『サイレント・パートナー』(1978)。ちょっと珍しいカナダ映画。派手さはないですが、配役の妙もあり、おもしろいです。おススメ。106分。

先日Mと会った時に映画『悪人』(2010)の話になった。彼女は観ており、僕は観ていない。ただ僕の脳裡にも金髪の妻夫木聡深津絵里が悲愴に顔を寄せ合っている画は浮かんでいた。最後、妻夫木が深津にかける言葉が意味深で、観た者の賛否が分かれているのだとM。彼女は友人と一緒に観て、その人とやはり解釈が分かれたが、Mがこういうことなんじゃないと語ると、相手も納得したという。

『悪人』をプライムビデオの無料視聴で。けっこう長い映画なんだ。139分。僕の勝手な認識だけど、120分以上は長いと思っている。感覚的な長短ということは勿論ある。90分でも長いと思うものもある。『悪人』は時計どおりに長い映画だなと思って観た。

【以下、ネタバレあり。役名ではなく、俳優の名前で表記しています】

妻夫木と深津のふたりが出会い系サイトを通じて出会う。妻夫木はその前に福岡の満島ひかりと出会っており、金銭のやりとりの上、セックスしたり下着姿の動画を撮らしてもらうのだが、なりゆきから峠道で満島を殺害している。深津との初めての出会いで妻夫木は彼女をラブホテルに誘い、深津は応じる。行為のあとに深津が地方都市の、そのまた狭い範囲で生きてきた自らの人生を呟き、海のそばに住む妻夫木を羨ましがるが、彼は目の前に海があるともう行き止まりみたいな気がすると言う。これらの鬱屈がふたりのベースとしてある。妻夫木はセックスの対価として一万円札を差し出すが、深津は一回受け取ったあと、別れ際に返している。そのことの失礼を妻夫木は長崎から1時間半クルマを飛ばして深津の職場を訪れ、謝罪するだろう。

ふたりはピュアなのだ。この場合のピュアというのは〈他者経験がないがゆえに保持されている純粋さ〉。男女の関係において盲目的に燃え上がってしまったのはこのピュアさと、感情を押し殺す人生を送ってきた自らのここではないどこかへ願望が混じり合ったがゆえか。そこに社会(これは夾雑物だらけで、ピュアの反対語といっていい)は一切閑却されている。

それでふたりの愛は。深津はそのピュアさゆえに妻夫木にのめり込む。ただ、妻夫木の方は殺人を犯してしまったという暗澹たる感情を奥底に引きずっており、深津に対して、暗くささくれだった気持ちをこんなにも優しく慰撫してくれる彼女に好意を抱くといったもので、深津の愛に釣り合うものがあるとは僕には思えない。と同時に、深津の愛に触れることで自らの罪責感が引っ張り上げられて、どんどん苦しくなってゆく。そして、罪の重さに耐えきれなくなって自首しようとする妻夫木だったが、深津はそれを止める。そこからピュアなふたりの逃避行が始まる。結果は見えている。それはふたりにもわかっている。ちなみに呼子イカの目玉にどんどん寄っていって、峠道の回想シーンが始まるのよかったですね。

行き止まりの灯台で、ついにふたりは警察隊に取り囲まれる。事ここに至って、妻夫木はおれはおまえが思っとるような男じゃないと言い、深津の首を絞める。彼女が気絶寸前になったところで警察隊が突入し、彼は引き剝がされる。手が伸び、彼女の手に触れようとして叶わない。

結局、おれはおまえには不釣り合いな男なんだ。なにせ殺人を犯して警察に捕まりかけているじゃないか。これはおまえには何にも関係のないことだ。おれみたいな男によくしてくれてありがとう。短いあいだだったけど、ほんとうに感謝してるよ…… ほら、こうやっておれはおまえの首を絞めている。あの女を殺した時だってそうやったんだ。警察はまた女を殺そうとしていると見るさ。おれは捕まって相変わらず行き止まりだ。おれみたいなやつのことは一切忘れて、おまえはおまえの新しい道を歩いてくれよ。行き止まりなんかじゃない……

f:id:guangtailang:20220527095730j:image最後に映し出される、曙光を浴びる妻夫木くんの表情、やばいな。あれはやばい。彼のたどってきた道程とその結果が凝縮されている。

Aにある時教わった。熊本から長崎(これは市の間のことだろう)はクルマだと遠いんですよ。フェリーだと近いですけど。九州の地理をもっと知らなければ。