川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

壮年の、夕陽の、

頭の中がグルグル回転しているわりに考えが少しもまとまらない。感情が乱れ飛んで交錯している。だから、土曜日にあったことを時間通りに記すのみだ。

f:id:guangtailang:20211121105237j:image朝、点けっぱなしのテレビの前にふたり座っていた。横浜の新しく開業したロープウェイが映っている。しばらく眺めて、Hさんと顔を見わせた。「これ乗りに行こうか?(日本語)」「いいわね(中国語)」。彼女とのあいだで阿吽の呼吸のように物事が決まったのは久々な気がした。天気は抜群によかった。Hさんはもうすぐ帰国する。時節柄その準備がいろいろ大変で、その前最後の余暇だ。

昼、京急線で横浜に降り立つ。途中、京急川崎はジンジィチュアンチィとアナウンスされた。腹が減っているか彼女に訊くと、さほどでもないとのこと。それで桜木町に移動してすぐにロープウェイ待ちの列に並んだ。横浜に来たのも久々な気がする。Mのホームタウンだから意識的に避けていたということはある。ましてふたりで来るのは。とはいえ、万一街角でばったり出くわしたら、「こちら、奥さんです」「はじめまして」という会話がマスク越しになされるのだろう。わたしは何食わぬ顔で突っ立っている。この10ヶ月、前提としてきた関係はそういうものだから。でなければ逆につづいてないだろう。

ガラス張りのロープウェイが運河の上を渡る時間は短い。降りてそのまま商業施設に入る。特に見たいものがあるわけじゃないから、ちょっとブラブラして昼飯にするかとなる。食事処を探しているあいだに似顔絵のコーナーが目に入る。ふとひらめく。髪で目の隠れたお兄さん(顔の下半分はマスクで隠れているから、実質顔のほとんどが隠れている)が一所懸命に筆を動かし、ビニルの衝立の向こうの赤子を描写している。「あとで記念に描いてもらうか」と冗談ぽくHさんに言うと、フワリと笑ってまんざらでもなさそう。とりあえず同じフロアの和食料理店に入り、彼女は揚げ物、僕はサーモンの丼を食う。ビールは僕だけ飲む。すると不意にMからラインが来た。ここ数ヶ月の彼女の身体の不調は知っていたし、数日前に会う予定の日がキャンセルされ、女性特有部位の検査結果が悪かったのも聞いていた。しかし、このラインの内容はさらに深刻なものだった。病は、彼女の精神に大きな影響を及ぼしていた。当然のことだろう。彼女の内的変化についてわたしが軽々しく何か言うことはできない。ただ、わたしとの関係でいえば、そういう〈気分じゃない〉ことを理由に、しばらく会えないという結論を書き記していた。気分じゃない。この言葉を今まで何人かの女性から聞かされた。理屈じゃないのだ、気分は。だから、こちらが論理で対抗しても敗れる。同様の状況で、否、敗北などしていないと、つぎつぎ矢を放つ男も当然にいる。それで女を傷つかせるか。心から血が流れたとして、勝利したのか。何が獲得されたのか。壮年の、夕陽の、わたしは違う。しばらくとはどのような長さの期間か。誰にもわからない。自分の中で明確なのはこのひとにいまここで去られることはわたしの人生の不覚だ、という感覚。書かれていた事実、そこから彼女が導き出した結論をまったく予想していなかったかといえば、そうではない。しかし、それでもいざ目前に示されるとショックだった。そして、なんとも数奇なタイミングで送られてきたラインだった。

f:id:guangtailang:20211121105245j:imagef:id:guangtailang:20211124203310j:image24日。samespaceをoccupyじゃなく、separateされていたはずの二個の者は相次いでわたしから立ち去った。わたしはひとり呆然と突っ立っている。成田からの帰り、渋滞に遭った車内で考える時間はたっぷりあった。

f:id:guangtailang:20211125154944j:plain25日。キャンセルされた同じ日が違うかたちで復活する。第二章、始まる。