川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

中年女

f:id:guangtailang:20211028132725j:image高橋揆一郎「伸予」(1978)をペーパーバックで読む。いい小説だった。女教師が昔の教え子の男と30年ぶりに再会する(ふたりはすでに50手前と44歳)。単簡に言ってしまえばそれだけの話なのだけれども、それをこんな風に書けるなんて。伸予というのは女教師の名前で、予の字がちょっと不思議。〈~よ〉という名、ふつうは代か世が多いんじゃないか。大山のぶ代妹島和世など。

舞台は北海道で、伸予が住んでいるのが僻地といっていい海辺の町なのだけれども、夫に先立たれ、息子たちも独立し、ひとりで暮らす中年女の寄る辺なさがそくそくと伝わってくる。冒頭の昔の教え子(武藤)を待っている際の風景描写からして淋しい。雨も降っているし。蕭蕭というのか、全体が寄る辺なさ、淋しさに浸されており、そんな中でかつて激しく恋した教え子の消息を知り、連絡をとってしまう。

これ読んでてクスっとしてしまったのが、伸予と武藤の年齢の差がほぼHさんとわたしの差なのだ。この年頃の女の心理、男の心理、20、30で読むよりまあ今の方がわかるし、より響くタイミングでした。思い立ったが吉日、即座に行動する伸予は現状の淋しさに因るだけじゃない、元々そういう性質の人間なんだと思わせるところがある。ユーモラスを醸し出す。終盤、30年のあいだに変化したのか、武藤の知られざる裏の顔を伸予は知ることになり…。数年前にこんなような小説を読んだなと思ったら、「影裏」だった。あれは男同士の関係だったな。文章力があって読ませたと思うんだけれども、どうもスカしたような印象が拭えなかった。個人的にはディテールも巧いし(伸予が顔面神経痛になる場面や川向こうの河原で小学生の女の子が小便する場面等)、断然「伸予」が好み。

f:id:guangtailang:20211029091217j:image應嘉麟(インジャーリン)はどんどん大きくなっている。彼が生まれて二、三ヶ月の頃、わたしが選んで送ってあげたイカの玩具をまだ好いてくれているようで嬉しい。押すとピューピュー鳴る。ただ、これも名前についていうなら、インジャーリンはいつ自分のフルネームが書けるようになるのかと思う。應は簡体字で〈应〉だとしても、嘉麟はたしかそのままだろう。

話は変わるが、今日、用があって同業の先輩に電話した。彼はわたしより4つ5つ上で、知り合った当初から当たりのやわらかい人物として話がしやすかった。ところがここ1、2年の印象は違う、妙に早口で(これは以前から多少そうだったが)、こちらの言葉に被せるように自分の主張をまくし立てる(それこそ立て板に水のように)。押しつけがましく感じられる。立て板に水のように喋れる人は何かあらかじめインプットしているのだろうか。彼は現在わたしがいるポジションを経験して上がっていったのだが、人はこのようにして変容するのかとも思う。自戒しなければならない。

f:id:guangtailang:20211028132730j:imageああ、絶世のアネさん 

痩せてもいいから俺は走ります