川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

職場でロマンポルノのチラシを広げる。

f:id:guangtailang:20211014125453j:image全国的に感染者数が唐突に減って、東京も連日100人に満たない。そうゆうこともあり、友人たちとのあいだで少人数で集まろうという話がいくつか出てきた。業界の方は少人数ということがなかなかできないので、わたしの今いるポジションもやれることが限られているが、今週末の国家試験では監督員として駆り出される。来週末は大学時代の友人Kとほんとうに久しぶりに会う。その次の週末はスペイン語を喋りそうな顔のSと富田林出身のJとレンタルスペースで鼎談する。〈明日がないかのように生きる〉と刻んだMともすでに約束しているし、帰国のことで悩み多きHさんも仕事が入り始め、事務所に行く機会が増えたので気が紛れるかもしれない。

f:id:guangtailang:20211014130501j:image登记日期(登記日期) 2013年6月24日 わたしの名前は簡体字じゃなくアルファベットで表記されている。

上述の鼎談はもはや恒例と言ってよく、Jによりその様子も撮影される。これを後日彼が編集した上で送ってくれ、さんにん各様にニマニマして楽しむ。毎回互いに質問を持ち寄るのだが、今回は当日のスムースな進行を考え、事前にラインで送り合った。それらを眺めながら、わたしはいきおい自らの歩いてきた道を振り返らざるを得ない。現在の倍の年齢はおそらく生きられないと思っているが、曲がりなりにも健康体でいられるのはいくつまでかとも考える。今年の夏に初めての手術・入院を経験し、命に関わるようなものでなかったにせよ、健康体のありがたみを痛感した。人間が心身ともに活動的に振舞えるのは生涯全体の半分くらいではないか。多くて三分の二くらいだろう。

わたしの歩んできた道。30歳以降でいえば、中国人との婚姻と日活ロマンポルノを抜きにしては語れない。前者はわたしの生活全体が浸されるわけで、わたしの行動や価値観はそれ以前とは大きく変質しただろう。なにしろ隣りにその人がいるわけなのだ。彼女にそんなつもりは毛頭なかろうが、〈中国〉という塊にわたしは日々ぶつかるのだからダイレクトきわまりない。と同時に〈女性〉〈妻〉というものにもぶつかっている。彼女は〈日本人〉〈男性〉〈夫〉だ。後者は前者ほどダイレクトに影響を受けるわけもないと思っていたが、実はそうでもないようだ。話せば長くなるが、簡便に言えば〈10分に1回濡れ場を設ければ、あとは何を撮ってもいいよ〉という枠組みの魅力だ。個々の作品や監督、俳優への没入もさることながら、わたしは己の人生にもこうゆう枠組みを当て嵌めたい。社会(という言葉も漠然としてよくわからないが)の中でこれだけを守れば、あとは何をやってもいいよ、と。守ること(もの)については、さらに真剣に考えてみることが必要だ。

f:id:guangtailang:20211014130507j:image職場でロマンポルノのチラシを広げる。広げちゃいけないという法もなかろう。