川の照り

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

腹上の本

f:id:guangtailang:20211001095651j:image『回想のブライズヘッド』というおもしろい小説を読んだ後につづけて『緑の家』を読んだのだが、何頁もいかぬうちに放擲した。全然のれなくて、これを読むのは今じゃないなと思った。最初、文字の密度の濃い描写が数十頁つづく。密林の中に修道女を乗せたボートが分け入り、何人もの人物があらわれて、まあ読むのに根気がいりそうだった。それから『息子と恋人』を買って、たまたまMと会う直前だったから、仰臥する彼女のお腹に分厚いその文庫をのっけた。意味のわからない僕の行為にげらげら笑っていた。ブライズヘッドの上流階級と違って、炭鉱夫の家に生まれた男の話だ。が、これもうっちゃった。壮年の読書にはこれも必要じゃないか。誰に強制されているわけでもない。課題図書でもない。人生であと何冊読めるかわからない。余計なストレスは要らない。気分の赴くままに読書すればいい。そういえば、中国語をけっこうちゃんとやっていた頃に、『成功之路 进步篇』という大判のテキストをやはり仰臥するHさんのお腹にのっけて、その時彼女も笑っていた。女性というのはお腹に本をのっけられると笑うのかもしれない。「今、これを勉強しているの?」と訊くから、「うん。前に中国語教室で使っていたやつなんだけど、途中までしかやらなかったから、つづきを今やっている」と答えたら、手に取って南方の普通話で音読し始めた。「眼睛花了(目がしょぼしょぼする)」とか言いながら。

で、今、『漱石紀行文集』最初の「満韓ところどころ」を読み始めた。紀行文とか読むのに根詰めなくていいし。ただ、漱石の文章を読みながら、われわれの住んでいる現代日本語の家の土台をつくってくれた人なのだよなあと噛みしめながら読むところはある。ありがとうございます。うろ覚えだけど、漱石の執筆活動期間は10年くらいじゃなかったっけ。当時の文人として漢籍の素養がある、英国留学ではノイローゼになるほど英文学を学んで立派な英語も書ける。多彩な日本語の文体を試した。100年以上経ってなおそれらをわれわれが使っている。凄過ぎて何も言えない。10万円札として復活させるほどに。ただ、ありがとうございますと感謝するのみだ。

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