川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

北や南、それから記憶の

f:id:guangtailang:20210929120746j:image村上春樹の小説「中国行きのスロウ・ボート」の書き出しで、自分が最初に出会った中国人は誰だったかみたいなのありませんでしたっけ。僕は村上春樹好きでも嫌いでもないから、昔読んだっきりの記憶ですけど。その顰に倣うとすれば、僕が初めて出会った中国人は李先生です。この人は医者で、実のところ僕は顔も何も知りません。でも間違いなく最初に出会っているのです。しかも日本人の誰よりも早く。というのも、僕が神戸のパルモア病院で生まれた時にこの世界に取り出してくれた人です。華僑の方だったんでしょう。物心ついて母親から幾度か聞かされ、そうだったんだというわけです。後年、北や南の中国人と僕が婚姻するなんて、数奇なサラリーマン川柳のひとつやふたつ詠みたいものです。

三島由紀夫の小説「仮面の告白」の書き出しに、自分が生まれた時のことを覚えているというような件がありませんでしたっけ。僕は三島由紀夫好きでも嫌いでもないから、昔読んだっきりの記憶ですけど。さて、僕はそんなこと全然ないのですが、先日Mと雑談していた時に、彼女は生まれて数か月の頃の記憶があると言いました。Mが母親の胸の前で抱っこされ揺すぶられています。その時母親は機嫌が悪かったらしく、その揺すり方が少し乱暴でした。赤ん坊のMはそれで気分が悪くなったそうです。ただ、言葉も出ないし、どうにも訴えようがなかったのです。

決してMのこの話を信じないということではなく、むしろ僕はMの人間性を全面的に信頼している男なのですが、記憶の再構成、これはちょっと強い言葉になりますが、記憶の捏造ということもあるのじゃないかとも考えるわけです。僕が母親の李先生によって分娩されたというエピソードを聞かされるうちに、僕の中で李先生のイメージが出来上がっていきました。柔らかい黒髪のロクヨン分け、色白で顎が細く、躰も細い。40代半ば。背は170㎝くらい。喋り方は端正で、活舌もよい。なんかもうこのイメージが強くて、強いて母親に風貌も訊いてないですね。まあ45年経って、母親ももう記憶が定かじゃないかもしれませんが。この機会にちょっと訊いてみますか。

Mの話は生まれてまもなくというわけじゃなく、もう少し長じてからの記憶なのじゃないかしら。抱っこのエピソードとリンクするように、彼女が母親のお腹にいる頃、母親は胎児のMの額に何かの文字─梵字─のようなものを幻視したそうです。それの形象をずっと覚えており、伝え聞いていたMは、最近それを腰に刻みました。さすがに額に刻むと支障がありますからね。まあ僕は超自然の現象や能力を頭から否定する派じゃないから、Mの記憶ももしかしたらあるかもしれないとも思いますけど。

f:id:guangtailang:20210929120753j:image母親に李先生のことを訊いてみると、、なんと李先生は女性でした。吃驚しましたが、僕のイメージはイメージでしかないので。当時24歳の母親が短いスカートを履いて来院し、寒い時期でそれをやんわり窘められたというエピソードなどから、なぜか上述の穏やかな男性の李先生をイメージして、それが強化されこそすれ、性別を覆すような要素を聞いてこなかったのでしょう。年齢が40代半ばというところだけ合っていました。