川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

日々

f:id:guangtailang:20210719153005j:imageZパッドおじさんの日々はつづく。今日は午前中、院長先生の診察があった。待合室で見た目、中央アジアっぽい人がいた。まだ若く、テュルク系にしては華奢な方だ。名を呼ばれる時にザハロフさんとかそうゆう風だった。この人はどっかり椅子に腰掛けていたが、わたしがドーナツクッションのある椅子に座ったがために、一緒に来た長身の若者はふつうの椅子になったが、頑なに座ろうとしない。わかる。待ち時間が長かったので、最後は肛門部が椅子に着地しないように斜めに座っていた。わかる。

15時20分。本日2回目の風呂。患部の血流をよくするため湯船に浸かってよしなしごとを考えていると、退屈には違いないのだが、人生のどこかの時点でこうゆう入院生活を送ることをそこはかとなく期待していた自分がいるような気がしてくる。日々のルーティンワークからやむを得ない理由で不意に離脱すること。今まで突然、旅に出たくなったことは一度や二度じゃない。10日間か二週間くらいの。しかし、これはそこになんらの世間的な正当理由もないので、断念するしかない。責任や義務の放棄は通用しない。いや、ほんとうは何が責任や義務だとホモ・ルーデンスを決め込んで、東南アジアの海沿いの安宿に飛んでもいいのだ。まあ、覚悟はいるがね。手術・入院は正当理由の最たるものだった。無論大病では恐怖でこんな風に思うことすらなかったのかも知れない。術後、回復もまあ順調という言葉をもらって、いい気になっているのだろう。

風呂場の体重計に乗ると80kgジャストだった。パジャマを着ているから実質70kg台に突入している。これはいつぶりだろうだと考えて、思い出せないが、Hさんがよく言うのが出会った頃が75kgだったというものだ。たしかにそうで、75がベストと思い、長いこと維持していた。彼女との出会いは前の妻よりも前だから10年近く前かも知れない。親しい関西出身の友人らに出会った頃もそれくらいの体重だった。このたびの入院で限りなくそれに近づくかも知れない。