川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

入院まで

f:id:guangtailang:20210706095503j:image自宅の前でマンション建築計画が進行していることは何度か書いたが、それがいろいろの理由で延び延びになっている。今や敷地内は雑草や花で賑わい、野良猫がゆったりくつろいでいる。雨が降れば、水溜りがちょっとした池になる。が、ついに着工するらしい。昨夕、玄関を出ようとすると40年配の白シャツの男が立っており、それが建設会社の者だった。2週間くらい前に工事延期のお知らせの書面が郵便受けに突っ込んであった。それによれば、敷地の土壌調査を行ったところ、問題が発生したという。文面には「より詳細な調査を必要」とだけあり、具体的な内容までは書かれていなかった。男が言うには、土中で鉛がけっこう出たのだそうだ。「鉛?」とオウム返しに訊いた。「ええ、東京大空襲焼夷弾のやつなんです」。この範囲なんですけど、と男はバインダーに挟まれた図面をこちらに向けた。元々、古い木造家屋ばかり建っていたからあり得る話だった。こうやって時たま歴史が捲れ上がるのだ。そっち側に焼夷弾が撃ち込まれたのなら、我が家の下からだって鉛が出る可能性はあるよ。鉛入りの土は神奈川にある処理施設まで持っていくらしい。

f:id:guangtailang:20210706095510j:imagef:id:guangtailang:20210706110211j:image入院生活は初めてだ。このあいだ聞いたら、幼少期に湖の足漕ぎボートの歯車に手を入れてしまい、右手中指の先が吹っ飛んだ時でさえ、入院はしなかったと母親は語った。先日、弟がこれまた初めての入院を経験したが、〈入院を甘くみるなと伝えてくれ〉と言ったと漏れ聞いた。彼は7日間、こっちは10日間と長い。何が甘くないのか未経験だからよくわからないが、術後の痛みに耐えるとか、身体が拘束されっぱなしとか、食いたいものが食えないとか、風呂に入れないとか、9時消灯6時起床とか、あるいはとにかく退屈とか、同部屋の患者がうるさいとかクセが強いとか、詮ずるところ不自由なんだと思う。

病院に勤めるMからも「本好きなんだから持っていった方がいいよ」と言われた。元来そのつもりでいたから、何を持っていくかが問題だ。普段読まなさそうな長編小説を念頭に置いたが、向こうで尻が痛くてろくすっぽ読めない可能性も考え、入院10日前から読み始めることにし、さらに尻が痛くて小さい文字を目で追えない可能性も考え、ふつうの文庫本じゃなく岩波ワイド版で買い求めた。昔誰かに、ワイド版はジジイが読むもんだろと言われた気がするが、すでに齢45に達し、そうだとしてそれが何かという感じだ。ワイド版はこの三分冊の他に漱石の『行人』を持っている。シェンキェーヴィチはまあ、こんな機会がなくちゃ読まなかった。原典はポーランド語なわけですよね。山下達郎を聴いて─『僕の中の少年』なんちゅう名盤なんだろう─、『クオ・ワディス』を読んで、ユーチューブを見て、とやっていたらもう日付が変わりかけていた。ちなみに、病室は二人部屋の窓側を選んだ。