川の照り

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

典型とスパイシー

23日。とにかく風が強い。快晴。華(ファ)さんの脚も完治し、ちょっとした遠出、空気の澄んだところに行きたくてうずうずしている。それに湧水汲みと農産物購入を組み合わせたいらしい。僕としても近場以外、老外(ラオワイ)をもう何ヶ月も駆っていない。今朝8時に起きた時、ふたりの意見は一致をみた。

関越道で横風をくらい、ラオワイの車体が揺れに揺れた。音楽をかけていても風の音にかき消されてしまう、そんな日だ。びろびろと外で何かはためく。だから皆、やや抑えめの速度で走っている。

f:id:guangtailang:20210223185334j:image不思議に風布の日本水(やまとみず)のところでは風が穏やかに感じた。山に囲まれているからか。さらに出がけに目が痒くてどうしようもなかったが、ここではそれも治まっている。クルマから降りて山の空気を吸い込む。コロナ以前の時代にはあたりまえだったマスクなしで深呼吸する、これが爽快で仕方がない。金属の案内板は比較的新しい。

f:id:guangtailang:20210223185344j:image今日はあまり人もいない。きっと風が強過ぎるのだろう。と思って2箇所使っていると、あとから2組来た。単にそうゆうタイミングだっただけだ。協賛金を木箱に入れ、場を明け渡す。湧水汲みといって、今思い浮ぶのは3箇所である。ここ風布日本水と佐野の出流原弁天池、そして塩屋町の尚仁沢だ。

f:id:guangtailang:20210223185805j:image農産物購入のため、道の駅はなぞのへ。いつものことだが、クルマを駐めるのに難儀する。それで便所に行きたい華さんを先に降ろし、ぐるぐるしているとキャップをかむった老人のクルマがコーナーの手前に停まって通行に支障をきたしている。駐車スペースから出ようとしているクルマを待っているのだが、それがなかなか出ないのだ。すれ違いざまに老人の顔を見るととぼけたものだ。隣りに乗るばあさんもとぼけた顔をしている。意地でも建物から近い場所に駐めたいのだろう。僕も何十年かしたらキャップをかむってこんな風に知覚が鈍化するのかしらん。こちらも足立ナンバーで来て大きな顔もできないから、花売り場の裏の少し離れた場所に空きを見つけて駐める。とはいえ、大宮や川崎や八王子や多摩や練馬や杉並やいろんなところのナンバーが見えるけどね。まあそんなことをどうしても気にするんだ。

f:id:guangtailang:20210223185355j:image昼飯。僕は野菜カレー、華さんはカレーぼうとう。麺が寛(クワン)だと華さんが言うから、ほうとう食べたことなかったっけ? 山梨(シャンリー)の郷土料理ですよ、本来はカレー味道じゃないけれど、つくっている若い女性がアレンジしているんですなと言う。ふーんと華さんが目を転じた先で老女がひとり黙々とスプーンを動かしている。さっきから気になるようだ。華さんの言いたいことはわかる。おばあさんがひとりで食事をするのは可哀そうだ、彼女はなぜ家族と一緒に食べないのか。

独居老人というのは現代日本においてあまねく存在する。他方、日本のおひとりさま文化はもうだいぶ以前から市民権を得ており、『孤独のグルメ』を引き合いに出すまでもなく成熟していると言っていい。老若男女を問わず、おひとりさまで何をやったっていい。僻地の露天風呂に浸かろうがカフェでハニートーストをかじろうが植物園の温室をへ巡ろうがカラオケをしようが仮面をオーダーメイドに行こうが映画館をハシゴしようが哀れに見られるというより、ああこのひとは○○することが好きなんだなあと思われるか、あるいは気にも留められないだろう。この老女が独居老人としてやむなくひとり飯を食っているのか、おひとりさまを楽しんでいるのか定かじゃない。見た目からは暮らし向きは良さそうだ。傍らに置かれた杖が洒落ている。まだまだ躰が動いてカレーが食えるのだから素晴らしい。老人にこのカレーはスパイシー過ぎると思うけれども。

中国ではリタイアしたら家族に囲まれ、孫でも抱いて日がな一日過ごすのが、人生終盤の幸福の典型とされている。だから、主義や感覚すなわちライフスタイルが異なり始めた子供たちから老人ホームに入るよう勧められると家族に見捨てられたと考え、烈火のように怒り出すか、泣き喚く老人が多いとも聞く。しかし、これからはどうなるか。