2日夜。決勝は南アフリカの完勝だった。開始早々、イングランドのPRシンクラーが味方とぶつかって頭を強打し、負傷退場。これが響いたのか、スクラムは南アが圧倒的優勢、イングランドは再三コラプシングをとられ、そのたび南アのポラードのペナルティキックが一閃する。追い縋るイングランドが逆転する気配は感じられなかった。フィジカル軍団同士の対決と思われたが、南アが一枚上手だった。後半、マピンピとコルビの両翼が躍動しトライが生まれ、勝負あり。32対12。
1日夕。3位決定戦。ウェールズの中高年がナショナルアンセム「Land of My Fathers」(我が父祖の土地 ウェールズ語〔Hen Wlad Fy Nhadau〕)を合唱する。
外国人応援団にすっかり定着したハチマキ。赤竜も咆哮する。勝手な印象に過ぎないが、スコットランドやアイルランドと比べても、ウェールズ人はより質朴な感じがする。
試合はオールブラックスが終始優勢に進め、6トライを決める。決して弛まず勝利を目指す。40対17。
試合後のキアラン・リードとアラン・ウィン=ジョーンズ。このふたりの主将が自分より年下だとはどうしても思えない。常勝軍団を率いるリーダー、「為す」ひとびとのリーダーともなるとこうゆう風貌になるのだろう。それにしても、ウェールズの選手は好漢揃いだったな。
フィジカル! フィジカル! フィジカル! こんなにもごっつい緑の巨人たちと日本の選手はよく戦ったな。
フィジカル・グリーン・モンスターを代表するナンバーエイトのドゥエイン・フェルミューレン。33歳。西洋絵画に描かれる農民の貌。このひととかピーター=ステフ・デュトイはでかくて武骨でほんとうに献身的。
肩を冷やすドゥエイン・フェルミューレン。
髪が濡れ地肌が透けるドゥエイン・フェルミューレン。
しなやかな筋肉の塊、マカゾレ・マピンピ。29歳。
ユニフォームを血に染めるイングランドのナンバーエイト、ビリー・ヴ二ポラ。27歳。189cm、130㎏。
決勝の最優秀選手に選出されたドゥエイン・フェルミューレン。
にこやかにインタビューを受けるドゥエイン・フェルミューレン。来年1月に開幕するジャパンラグビートップリーグのクボタスピアーズでプレイすることが決まっている。
南アフリカの優勝が多民族の宥和に絡めて語られる。『インビクタス』以来の文脈だ。一方、準優勝に終わったイングランド選手たちが銀メダルを首にかけるのを拒否したり、かけても即座にはずしたりということが批判的に報じられる。
3日。Hさんは知り合いと鶴見にあるスパに行くと朝早く出かけたので、私はクルマに給油し、目的地も決めず常磐道を北上する。車内では荒井由実をかけながら、およそ40日間にわたって戦われた日本開催のW杯を反芻する。颱風で3試合減ったから全45試合だが、そのほとんどをテレビ観戦した。日本人としてのクライマックスということなら、颱風一過、鬼気迫る対スコットランド戦ということになるのだろうが、個人的にはウェールズ対フランスがおもしろかった。プレイスタイルが対照的だったのもあるが、前半と後半でこうも違うのかというほどフランスが失速した。逆にいえば、前半のフランスはそれほど素晴らしかった。返す返すもヴァハマヒナのレッドカード退場が痛かった。ノンストップで高萩まで来たので高速を降り、瀧神社から市街を見下ろす。人口2万8千。
空腹を感じたので大津漁港に寄ると、何やらクルマが連なっており、人出がすごい。何かの祭りをやっているようだ。ここまで来ると、いわきナンバーも多い。この冬こそはどぶ汁を食いたい。
食堂に飾られている絵画。昭和年間の大津の港だろうか。この港も東日本大震災時の津波で被害を被り、施設が再建されたのだ。
刺身定食とたこの唐揚げ。1,850円。
ついでに五浦の六角堂を訪ねる。資料館の中央に立つ木彫、岡倉天心。ラガーマンのようにでかい。平櫛田中作。
六角堂内部①
六角堂内部②
六角堂も流失した、津波被害の説明図。
帰路、友部SAでかもめの玉子(さいとう製菓株式会社・大船渡市)と青のりの佃煮を買う。その後、赫赫たるテールランプの流れに巻き込まれ、荒井由実の「あの日に帰りたい」を独特の節回しで絶唱する。午後7時頃帰宅。