川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

ジュリー

昔、一度観たきりの『炎の肖像』(1974・監督 藤田敏八、加藤彰)をDVDで。ジュリーは私の親世代のスターなので全盛期をリアルタイムで見ておらず、格別の思い入れがないせいか、最初に観た時はところどころ挿入されるライブ映像が正直鬱陶しかった。同時期に『太陽を盗んだ男』(1979・監督 長谷川和彦)などという怒濤のような娯楽作を観てしまっていたせいもあるかも知れない。今回観てみて、それでもこのジュリーはクールで素敵だと思えた。20代半ばにして色気がすごい。パンツ一丁で「あきまへん」や「おまえもおれに喧嘩売っとんのとちゃうんか」などと関西弁を喋るのだが、そういうルーズさ、アナーキーさも含めて魅力がある。話の筋はたいしてなくて、気分で繫いでいくところはいかにも藤田映画といった趣きだが、ジュリーに絡むふたりの少女がこれまた70年代を代表する女優、秋吉久美子原田美枝子とくれば観る価値は充分にあるのだった。【以下、ネタバレあり。役名では呼ばず、俳優の名で呼んでいます】 

f:id:guangtailang:20190702194319p:plain波の間に間に揺れる朽ちかけた舟の上で目を覚ましたジュリー。血だらけで岸の喧嘩相手に悪態をつきながらホテルの部屋に戻り、恋人の中山麻理と交接する。しかし言葉では切りつけ合い、ふたりの仲はすでに冷め切っている。ジュリーは出ていき、中山はのちに操車場で画材とともに遺体となって発見される。

f:id:guangtailang:20190702194608p:plain劇中では鈴木二郎という名のジュリー、ライブをしているのは沢田研二という名のジュリー、と意図的に虚実ないまぜにしている。前者のジュリーは実に身勝手な男である。ちなみに二郎=ジローはジュリーに似た音を選択したのだろう。

f:id:guangtailang:20190702194645p:plain重要なので二度言いますが、70年代を代表する女優、秋吉久美子。この映画でも独特の舌足らずのような喋り方をしています。

f:id:guangtailang:20190702194734p:plain秋吉、原田と対面する喫茶店でタバコを銜えるジュリーだが、この後、原田のビンタを食らい、タバコが吹っ飛ぶ。原田は亡くなった中山の妹だという。

f:id:guangtailang:20190702194824p:plainジュリーをじっとみつめる原田。70年代を代表する女優で、この時まだ10代後半。同年に『恋は緑の風の中』でデビューしている。

f:id:guangtailang:20190702194905p:plain電車の窓越しに駅の売店で働く秋吉を発見し、わざわざ戻ってきて万札で40円の新聞を買うジュリー。秋吉がとてもチャーミングだ。彼女の終業を待ち、痴漢呼ばわりされながら秋吉の腕を引っ張って人気のないところまで行き接吻すると、彼女と別れたあと坂道を下りながら「おれはジュリーや! おれはジュリーやっ!」と叫ぶ。通行人がえっと振り返る。鈴木二郎のジュリーの映画を撮っているわけだが、通行人は沢田研二のジュリーとして驚くわけだ。何か非常に70年代的な感じがする。

f:id:guangtailang:20190702194955p:plain秋吉が来れず(わざと来ず?)、原田とふたりで例の中山と交接していた海辺のホテルまで列車で向かう。

f:id:guangtailang:20190702195027p:plainジュリーが裸でシャワーを浴びているあいだ、画家だった姉のチューブ絵具を机の抽斗に見つけてしまい、指についたそれを拭う原田。ねめつけるジュリー。

f:id:guangtailang:20190702195107p:plainその後、ふたりしてモーターボートできらきら光る沖を滑走するが、ジュリーだけよその船に乗り移り、原田をひとり海上に残したまま去ってしまう。あどけない原田の笑顔。

f:id:guangtailang:20190702195219p:plainトラック運転手の地井武男にまたも拾ってもらい、旭川まで乗っていこうとするが、地井に断られる。郡山で女房を乗せるからと。それでジュリーは泥で汚れた雪の目立つ街道沿いで降ろされる。代わりに女房(中島葵?)が乗り込む。郡山のレコード店で自分の曲が流れているが、さして関心も示さない。

f:id:guangtailang:20190702195322p:plainベースプレイを披露する岸部おさみ(一徳)。この映画がソロになって初めての主演作だったそうだが、ジュリーという男の肖像を描き直しているのはたしかで(私の母親談)、それが『太陽を盗んだ男』のダークヒーローとしての理科教師に繋がっていくのだろう。