川の照り

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

その女、ベイファンレン

8日、晴れ。国際女性デー(三八妇女节)。といって日本ではあまり馴染みがない。そうだとしたら、ミモザの日として人口に膾炙させてもいいですよ。ホワイトデーよりはちゃんとした起源があるのだし。

錦糸町にて漬け白菜と豚肉の炒め。中文併記じゃなかったが、酸菜炒肉丝(スワンツァイチャオロウスー)とかそんな呼び方かしら。酸菜を使うのは中国東北料理に典型的である。それにライス等をつけた。980円。服務員の女性たちの声の大きさ、頻出する儿化音、接客の蕪雑さがこれはもう東北人の可能性が限りなく高いので、東北人の店で東北料理、それで正解だろう。実際うまかったので米が進み過ぎた。

f:id:guangtailang:20190308140009j:imagef:id:guangtailang:20190308144235j:image小学生の頃、旅行好きの両親と祖母に連れられて北京や上海、桂林、香港(返還前)、澳門(返還前)を訪れたのが中国大陸に足を踏み入れた最初だったろう。1980年代半ばの話で、子供心に随分貧しくて煤けた国に来たのだなあと感じた。とはいえ、長城や桂林のスケールには圧倒されたし、当時の中国人は樸実な人が多く私と弟に親切にしてくれたものだ。

長じて今度は一人旅を計画し、2000年代初頭に北京から長距離鉄道に乗って西安まで行き、兵馬俑をみた。ラビリンスのような土産物屋に閉じ込められたのはこの時だ。西安の餃子がかわゆらしく、うまかった。

それからまた北京、上海、蘇州、台湾などを訪れて人並みに観光し、30代半ばになって、ある経緯(いきさつ)から雪駄を履きならした珍妙な男と知り合い、私の中国地図がさらに大きく展かれることとなった。その頃すでに仕事上で吉林省出身の残留孤児や、朝鮮族自治州から来た「留学生」と応接する日々ではあったが、中国語は学び始めたばかりだったし、中国東北地方に関する知識も持ち合わせてはいなかった。そんな話を雪駄を履いた男─Jにかいつまんでしたところ、「それ、延辺(イェンビェン)やろ」と事もなげに云った。「せやから北と南が多いねん。あとは少ない。極端に云うとやで」。今ならば日本(東京)在住の中国人に東北三省出身者と福建省出身者が多い事実はよく了解しているのだが、安っぽい電飾の明滅する地下の料理店で羊肉串をかじりながら達意の語り口で大陸の蘊蓄を傾けるJに、私は密かに弟子入りした。

その後、Jに連れられて上野仲町通りのチャイパブで白酒を飲み交わし、中国語の歌曲を唱った。Jは広東語でも唱い、嬢から喝采を浴びた。冬場が多かったような印象があるが、通りを歩きながら私が彼に「背の高い北方人(ベイファンレン)はいるのかな」と呟くと、Jが雑居ビルの入口でロングダウンコートを纏って屯している嬢に寄っていき、「你们有没有个子高的?」と訊いてくれたのは良い思い出だ。

30代後半は大連、瀋陽、ハルピンなど東北地方の主要都市を廻り、黒竜江省に至っては7度も行った。であるのに現在、浙江省出身の南方人(ナンファンレン)と生活をしているのは数奇と云う他ないのだが、それはまた別の話である。とりあえず、今後、長春には行かねばならない。