29日夜。対面し、それぞれの文章を読む。Hさんは仕事の何か、私は「蘆刈」(岩波文庫『吉野葛・蘆刈』所収)。
こっちは『猫と庄造と二人のおんな』の注解(新潮文庫)。谷崎が『源氏物語』の現代語訳をやっていた時に唯一書いた小説。女優の本上まなみが薦めていたのをどこかで読んだな。猫のリリーの描写が実に精妙。
【以下、ネタばれあり】
そういえば、大作『細雪』は執筆中に終戦を潜り抜けているのだが、はてその終戦時にちょうど書かれていた箇所は一体どのあたりなのか、と文藝評論家の渡部直己は思ったらしい。調べてみると、雪子が岐阜でのお見合いを不首尾に終え、電車で帰京する場面、車内で田舎紳士にじろじろみられ、雪子もその男をどこかでみた気がする。そのうちに、ああ、もうだいぶ以前になるがお見合いの相手だったのだと思い至った。たしかそれが最初のお見合いではなかったかしら、と。男の方は疾うから気づいているのだ。雪子は風采の上がらない男をみながら歳月の経過を感じ、もしこの人のところに嫁いでいたなら、自分は中部地方で冴え冴えしない生活を送っていたことだろうと思案する。男はまもなく下車した。この箇所は、基本的に引っ込み思案で意見の少ない、普段は姉の幸子や妹の妙子にリードしてもらっている雪子にしては珍しく能動的に心情を吐露している。あともう一場面、乱脈な生活をつづける妙子に、雪子が非常に辛辣な意見をぶつけ、妙子が泣きながら家を飛び出す件りが出てくるが、このふたつの場面はめざましく私の印象に残っている。それと、結末部分も当初は雪子の下痢で終わるような文章ではなかったようだ。渡部が芦屋の記念館を閉館間際に訪れて筆記したところによると、和歌が出てきて、わりかしきれいな終わり方だったのだが、谷崎が雪子の下痢が止まらない結末に書き換えた。この長大な小説を最後ああやって終わらせる、恐るべき谷崎先生だ。
30日昼。汁物ばかりになってしまった。バランスを再考する。