長椅子を運べ、とHさんの命令が下り、新居からクルマを取りに行き、マンション前に廻し、7階からえっちらおっちら運ぶ。重くはないが、いちにんで運ぶものでもないだろう。着替えてさえいないから、スーツにコートのままだ。1階でエレヴェータを待っていた人が一瞬不審の表情をした。そのあいだ、Hさんは老乡（同郷の人）とカーテンをアレンジしている。
隅田川沿いのニュータウンにあるこのマンションに不満らしい不満はなかったが、私の住んでいた号棟だけで120世帯。エレヴェータは2基なので、時間帯によってはひっきりなしにそれぞれが昇降を繰り返し、さまざまな住人が行き交う。が、ほとんどの場合、声に出す挨拶もない。私とて会釈がせいぜいだ。なるべく顔を合わせたくないという態度ですり抜ける者もいる。賃貸だとこんなものだということを知らぬわけではないが、コミュニティは少しも機能していないようだ。そういえば住み始めた当初、隣りの隣り、エレヴェータの脇の部屋から出てきたおばさんと鉢合わせたので、「先日あちらに越してきたんで、あらためてご挨拶に伺います」と言ったら、「そういうのはいいの」と抑揚なく返されたのが象徴的だったかも知れない。しばらくは住むけれど、まあお互いじきに越すのだから。謎なのは、最近やたらと7階でエレヴェータが停止していることだ。なんとなく7階住人の入れ替わりが頻繁なような気もするが、そうだとしたら、私たちもその一部になった。
カーテンをアレンジした一部を長椅子に被せる。Hさんのリユースは悪くないが、私は座らない。
18日。お引越し。今年最も疲労困憊。夜、黄金色の小便が出た。塵埃で鼻がむずむずする上、荷物に紛れて剃刀が見当たらず、白髪の混じった小汚い無精髭で眠る。
