川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

間宮林蔵

f:id:guangtailang:20181125171617j:image関東平野のただなかにある間宮林蔵記念館に行く道はこんなです。最寄り駅はJR取手かTX線守谷のようですが、いずれにしてもバス便のよう。

f:id:guangtailang:20181125171657j:image記念館専用の駐車場には僕のクルマを入れて4台が駐まっているのみでしたが、そのうち2台はナンバーから推して館の職員のものでしょう。

f:id:guangtailang:20181125171730j:image移築・復元された間宮林蔵生家と記念館。今まで僻地の記念館にわりかし足を運んでいる方ですが、広大な田園地帯の中にぽつんとあるここもそのひとつです。

f:id:guangtailang:20181125171739j:imagef:id:guangtailang:20181125171827j:image入口脇の測量用鎖を手にする間宮林蔵像。5年前の夏、宗谷岬に行った時にあちらの間宮林蔵像を先にみているわけでした。やはり測量用具を持って、海の向こうのカラフトを望見していたように思います。間宮の師匠である伊能忠敬の像もきっと測量に関する道具を手にしているのでしょう。ちなみに間宮林蔵の身長は157cm。

f:id:guangtailang:20181125171840j:imagef:id:guangtailang:20181125171848j:imagef:id:guangtailang:20181125171855j:image黒く煤けて、いかにも百姓の住まいという感じ。この後、隣りの記念館を観覧したのですが、撮影禁止でした。入館し受付の前に立つと、70代くらいの白髪のおじさんがこちらに気づかぬまま脚を組んで中公新書を読みつづけています。すみません、と声をかけました。入館料100円。他に100円で黒表紙のパンフレットも買えます。展示物をみる前に、まず9分間の間宮林蔵に関するビデオをみるよう案内されます。これがなかなかよくまとまっていました。平屋の建物でそれほど広くはないので、展示は30分もあればみて廻れます。松浦武四郎アイヌのコタンを訪れた時、50年前に間宮林蔵が来ていたと聞いて驚いたエピソード、間宮林蔵の晩年は江戸深川に住み、質素で寂しいものであったという説明もありました。「間宮林蔵をめぐる人々」、シーボルトや松田伝十郎、最上徳内伊能忠敬徳川斉昭、コーニなどのパネルをみ終え出口に向かおうとすると、不意に電灯が消えました。「もう閉館ですか?」と訝りながら受付に声をかけると、さっきの白髪のおじさんが出てきて、「ああ、すみません。もう帰られたと思ったもので。まだ、どうぞゆっくりご覧下さい」とのんびりした調子で釈明しました。「いや、もうみ終わってましたんで、大丈夫ですよ」と応じ、ドアを押すと、背後でおじさんが見送ってくれています。いくら僻地にあり、僕いちにんしかいないからといって、開館中に消灯してしまうことに、怒りは少しも湧かず、むしろにやにやさせられました。

f:id:guangtailang:20181125171903j:image駐車場から250mの場所にある間宮林蔵の墓。大きな顕彰碑の裏にひっそりとあります。「カラフト探査に出かける前に郷里上平柳に立ち寄り,自分の墓石を建てる 百姓としての小さな墓石で,カラフト探査は死を覚悟しての行動であった(茨城県つくばみらい市上平柳 専称寺境内」【パンフレットより】 

f:id:guangtailang:20181125171913j:image関東平野。遠くに筑波山のシルエットがみえます。

f:id:guangtailang:20181125180022j:imagef:id:guangtailang:20181125180030j:image「厳寒の宗谷岬に立つ間宮林蔵ブロンズ像(写真提供 稚内市)【パンフレット裏表紙より】 

f:id:guangtailang:20181130214148j:imagef:id:guangtailang:20181130214156j:image記念館から帰って数日、間宮林蔵という人物をもっと掘り下げたい気持ちが湧き、この本を買って読みました。著書自身が述べるように、先行する林蔵研究に依拠しながら、最後の2章でオリジナリティを付け足し、林蔵の「寂しさ」をも抱きしめた有益な本です。著者初期の作ですが、「伝記」を得意とするだけあり、さすがに文章が読ませます。【2018.11.30】