川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

脱出する痔核

f:id:guangtailang:20181024125257p:imagef:id:guangtailang:20181024125305j:image※今回は尾籠な話なので読み飛ばしてくだすっても結構です。ただ、漱石の未完の遺作『明暗』の冒頭だってそうなんですよ。

土曜日の夜に暴食し過ぎたのはたしかだ。壮年の衰えつつある器官がこらえきれず、夜半から酷い下痢が始まり、朝までに2度トイレに籠った。家にないから下痢止めの薬を飲むこともしなかったが、日曜日の予定をキャンセルして完全休養にあて、おとなしく横臥していると徐々に恢復し、その日排便でトイレに行ったのは1度だけだった。夜に下痢は収まった。だから、あれが下痢の止まらぬ男の家だ、と指さされずになんとか済んだ。ただ下痢の連続に、しばらく小康を保っていた持病の痔が、再発した。しかも以前よりも悪化して。肛門に負担がかかったのは明白だが、痔核が脱出して戻らなくなったのだ。これが痛みを伴い、すこぶる気持ち悪い。

実のところ、痔核の脱出しない痔であれば、もう数年前から患っていた。毎回ではないが、排便の際に鮮血を出血した。痛みはなかった。白い便器に真っ赤な血が落ちるとやはり怖いもので、私は即座にネットで検索し、その症状が「内痔核」に当て嵌まることを知った。ただその時点では気楽に考え、放置した。そのうち、出血もなくなった。それが今年に入ってから、排便5回に3回くらいの割合でまたぞろ鮮血を出血するようになった。さらにはこの半年のあいだに、8回くらい脱出もあったと記憶するのだが、どれもわりかしすぐに戻るようなものだったから、ぞろっぺえに構えてなんらの処置をしなかった。そして、先週末を迎えた。

脱出した痔核は、今度は戻らなかった。肛門に明らかな異物感、痛み、熱のようなものがあり、風呂の時、指で痔核を押してみると、ゴムのような感触がした。初めての感覚に不安を覚え、ろくすっぽ眠れなかった。暗闇の中で尻を庇いながら私が反芻していたのは、脱出したままの痔核、これは痔が今までとは別のフェーズに突入したサインだ、いよいよ肛門科医院に赴き、プロの眼で症状を診てもらう時なのだ、ということだった。朝、最寄り駅の電光看板でも目にする、地元で評判らしい肛門科医院に電話を入れた。すると電話口の中年女性は、「予約は要りませんので、直接いらして下さい」と歯切れよく言い、私より先に電話を切った。脱出した痔核はこの頃、戻っていた。

火曜日午後2時45分。肛門科医院の待合室にはすでに5、6人が肛門部分を凹ませた、あるいは穿ったクッションを尻に敷いて順番待ちしていた。私はクッションを使わずにゆっくりと長椅子に腰掛け、ちょうど正面に掲示されている案内図を眺める。そうしているあいだにも次々に患者が訪れ、この医院の人気ぶりを窺わせた。68番の番号札を持つ私は30分ほど待っただろうか。診察室から若い女性看護師が顔を覗かせ、なぜか番号ではなく、私のフルネームを呼んだ。入室する。右側にベッド、左側にデスクがあり、デスクの手前に金属の器具が並んでいる。ほどなくして男の医者があらわれ、問診が始まった。医者は私と同年代と思われ、穏やかな口調で、涼やかな眼に聡明さがみてとれた。彼の指示に従い、尻を剥き出すと、壁を向いてベッドに横臥した。「両脚を抱え込むようにして下さい」と言われ、そうすると肛門がさらに開いた。看護師にジェリーを塗られ、金属の器具が挿入される感覚があった。痛みはほとんどない。

内痔核のフェーズとして、私のものはⅡ度とⅢ度のあいであるらしい。とりあえず手術の必要はなく、痔とうまく付き合っていくことを言われ、座薬と飲み薬を処方された。安心すると、隣りの診察室のばあさんが、「先生、ヨーグルトを食べればいいですか」と言っている声が急に耳に入ってきた。

薬局で薬を受け取り、医院から程近くにある区役所前の公園で休憩した。プロに診断してもらったことで後顧の憂いがなくなり、目に入ってくる景色が明るくなったような気がした。