川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

寧波=ニンポー

昨日から今日の明け方まで。

感冒薬をのんでいるが、鼻腔の奥が詰まった感覚がずっとあり、咽喉もいがらっぽい。但し、洟は垂れず、咳もほとんどない。この程度の症状で福岡へ飛ぶことに問題もないが、向こうで楽しみにしている食事には差し支えがあるだろう。味覚が鈍重になっているから。

イングランドクロアチア戦が延長までいって、決着したのは午前5時過ぎだった。カーテン越しに窓の外はすでに明るくなっており、おれはプラムをかじりながら、琴音氏のCDを聴いた。何年ぶりかに買ったCDだ。清冽な酸い味、そして甘みが弾ける。

ベッドに横臥しながら、8月の旅行について思いを巡らす。基本的には紹興(シャオシン)にあるHさんのマンションに滞在するが、途中、寧波(ニンポー)一泊旅行を挟む。寧波は初めてなので概略を知りたいのだが、ガイドブックに寧波が載っていることは少ない。よしんば掲載されていたとして、上海や蘇州・杭州で一冊に編集されたブックにおまけ程度の扱いである。なんだかなあ。寧波は古都といってよい歴史を有し、日本とも大昔から交流してきた、現在、副省級市に定められる浙江省を代表する大都市のひとつなのに。人口760余万人。

結局、ウェブページの観光ガイド(寧波観光局公式サイト)や、個人の旅行記(写真のいっぱい載ったやつ)、Wikipediaなどが充実を見せており、かなり参考になる。

そんな中、たまたま見つけた『東アジア海域に漕ぎだす2 文化都市 寧波』(東京大学出版会)。どどんと寧波を前面に出してくる書名に、思わず手に取り、頁を繰った。

主要目次

プロローグ 「文化都市 寧波」という視点
第I部 書物がつくる文化
一 天一閣蔵書楼とは何か
二 寧波の郷土史料『四明叢書』
三 語り継がれる記憶と寧波の地方志
四 思想家の言葉はどのようにして書籍に定着したのか――王陽明を一例として
コラム 「中国のルソー」を育んだもの
第II部 知識人たちの記憶と記録
一 王朝をこえて――宋元交代期の碑刻の書き手たち
二 豊氏一族と重層する記憶
三 思想の記録/記録の思想――寧波の名族・万氏について
四 寧波という磁場と文学者たち
コラム 江戸文化と朱舜水
第III部 場と物が織りなす記憶と記録
一 石に刻まれた処方箋
二 墓地をめぐる記憶と風水文化
三 文化を支える経済のはなし
コラム 東銭湖墓群と史氏
コラム 寧波の英雄・張煌言

天一閣(ティエンイーグゥ)は寧波観光で必ず挙がってくる場所なのだが、数頁読み進めて、さすがに専門の先生方がフィールドワークを行い、執筆しただけあって、内容が他のどんなものよりも濃く深い。というか、圧倒的じゃないか。だいたい、天一閣を建築した范欽という人物をこの書物で初めて知ったからね。范欽の経歴については、Wikipediaの28倍くらい詳細に書いてある。维基百科よりもさらに詳しい。そんなアカデミックな本だから、どの程度一般向けに書かれているのかわからないが(冒頭の語り口、コラムを挟み柔らかさを出している構成はある程度一般向けか)、おれは買った。そして、毎日少しずつ読んでいる。寧波の概略を知る所為からはもはや離れてしまっているが。

8月、天一閣の敷地に立つおれは、同行した中国人たちの誰よりも圧倒的にこの史跡に詳しいという妙な状況を想像して、にやにやした。

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