川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

浮遊感覚

f:id:guangtailang:20180630085545j:image藤田敏八略歴》(KINENOTEより)

「【同時代の空気を青春映画に刻み込む】朝鮮・平壌で生まれ育ち、終戦とともに三重県に引き揚げる。東京大学仏文科在学中は演劇活動に熱中し、俳優座養成所にも通った。本名は繁夫で、1968年までは“藤田繁矢”名義で脚本・演出を手がけた。仲間内での愛称は“パキさん”。77年から95年まで女優の赤座美代子と結婚生活を送る。鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」(80)に出演し評価されてからは、俳優としての活動に重心が移った。97年、肺癌のすえに肝不全で65歳にて死去。55年、日活に入社し蔵原惟繕ほかの助監督を務め、脚本も書き始める。67年に「非行少年・陽の出の叫び」で監督に昇進し、日本映画監督協会新人賞を受賞。同作の姉妹編ののちは「野良猫ロック」シリーズ2作や「新宿アウトロー・ぶっ飛ばせ」(70)などの日活ニューアクションを手がけ、青春映画の「八月の濡れた砂」(71)が高く評価された。その翌年に日活がロマン・ポルノ路線へ転換すると、「八月はエロスの匂い」(72)等のエロス三部作や「もっとしなやかにもっとしたたかに」(79)といった成人映画を手がける一方で、一般映画枠の「赤ちょうちん」(74)、「帰らざる日々」(78)などを監督。さらに他社作品の「天使を誘惑」(79)、「スローなブギにしてくれ」(81)などの一般映画で活躍した。遺作である「リボルバー」(88)は、にっかつ(当時社名)が一般映画路線に戻した“ロッポニカ”作品の一本であった。【のらりくらりと浮遊】初期から後期まで通して青春映画の騎手と見なされた監督である。初期のうちは、学園闘争、紛争後の空白といった時代の空気を滲ませつつ同時代の若者の姿を追い求め、無為で倦怠感あふれる青春像は「八月の濡れた砂」に結実した。ロマン・ポルノ路線への転換時も日活に残ったが、量産体制にしては成人映画作品の数は少なく、市場確保のため一般映画枠で製作した秋吉久美子主演の(フォークソング映画化)三部作などに腕を振るった。これらは特に若い観客層から支持され、「赤ちょうちん」と「妹」(74)は同じ年のキネ旬ベスト・テンに揃ってランクイン、いわゆるシラケ世代の個人像を鋭敏に捉える作家と見なされる。「スローなブギにしてくれ」以降は中年世代の“終わらない青春”像も併せて描き、「ダブルベッド」(83)はそのロマン・ポルノ版であった。おおよその物語や主題は直線的に描かれず、全体にもの憂さを漂わせる。主人公たちの態度と映画のタッチともに“のらりくらり”“浮遊感覚”と称されることもあった。」

f:id:guangtailang:20180630105522j:imagef:id:guangtailang:20180630105532j:image今読んでいる、この1940年代、戦前・戦中の上海・香港を舞台にしたメロドラマにも時代に浮かび漂うような感触がある。著者の張愛玲が同時代の多くの中国人女性とは異質な体験と感覚を持っているからだろう。端的に言えば、えらくモダン。冒頭に、出戻った主人公流蘇が一族の中で肩身の狭い思いをしている境遇が描かれており、そういうのは中国の旧社会をあらわしているが、彼女はそこから飛び立つ。范柳原を若きチョウ・ユンファが演じた映画もある《『傾城之戀』(アン・ホイ監督/1984/97分)》。

明日の午後からしばらく独り暮らしとなる。7月の路上も烈日が容赦ないだろう。ところで、今日は腹の具合が悪い。朝、出社してトイレに駆け込み、今またトイレにいる。窓から射し込む光線が強くなって、朝より個室が明るい。f:id:guangtailang:20180701140031j:plainf:id:guangtailang:20180705121145j:image