川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

極東で禿げる。

1箇月前倒しの気候とも言われているが、湿気を含んだ強風に髪をなぶられながら、おれは去年の夏に行った飯田の天竜舟下りを思い出していた。あの時、安曇野滞在中はどしゃぶりの雨だったが、高速をしばらく走っているうちに雨は止み、伊那の辺りからは青空の面積が広がり、飯田に着くともうカンカン照りで、湿気を含んだ強風が吹きつけていたのだ。遮るもののない舟の上でおれたちは帽子やほっかむりで頭部をガードし、汗みずくだった。船頭が、雨のおかげで河の水量たっぷりだと説明していたっけ。

台東区荒川区を隔てる明治通り台東区側から。

f:id:guangtailang:20180627120736j:imageここ数箇月のことだが、とみに髪のコシがなくなったと感じていたので、念のため頭部を撮影してみると、しっかりと禿げが進行していた。M字部分はもとより、頭頂部も薄くなってきている。おれは、まあこんなもんでしょう、と思うのだ。W杯ロシア大会で各国の男の観客や選手を見ればわかるように、40ともなれば禿げているのが世界標準である。人によっては20代前半で禿げ始めているし、30代なら立派に禿げ上がっている人は数多い。先日おれは1箇月半くらいかけて、レフ・トルストイの『アンナ・カレーニナ』(光文社古典新訳文庫/望月哲男訳/4分冊)を読み終えたが、この小説の中心人物のひとりであるアレクセイ・ヴロンスキー伯爵は若くて美男なのだが、薄くなった頭髪の描写が2度3度出てくる。つまり、禿げることは容姿にとってマイナスの要素ではなく、むしろ男っぷりが上がるようなところがある。まあ、日本人の場合、頭のかたちが悪いとか、どのように禿げるか、それが問題だ、という意見もあり、それはそれで正しいと思うので、禿げの考察については、またそのうち書きたいと思います。

f:id:guangtailang:20180627120746j:image13年前の北京~西安一人旅。別れ際、ガイドの女性がお土産にくれた灰皿。当時、小泉純一郎元首相の靖国参拝に端を発する反日暴動が大陸で生起しており、渡航直前、おれは旅行会社に電話をかけた。こんな時に北京に行って大丈夫なんでしょうか? 電話口の男は妙に暢気に、私の同僚がつい先日北京に行ったのですが、デモは局所的なもので、特に危険が及ぶことはないと思います。わかりました。では、予定通り出発します。実際、北京で暴動やデモ行進を見ることはなく、おれ自身が嫌な目に遭うこともなかった。

西安から寝台列車で北京西駅に到着し、ガイドとの待ち合わせ場所に急いだが、駅が広大過ぎて迷子になった。その頃はニィハオとシエシエがせいぜいだったから、洪水のような人混みのなかで不安に駆られたが、うろうろするおれに売店のおばちゃんが近づいてきて、ボディランゲージを交えながら親切に場所を教えてくれた。

今でも事務所のカウンターに置いてあるのだが、最近は喫煙者が減って、使う機会もあまりない。

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