川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

虹口にて

「虹口(ホンコウ)にて」

 

 上海軌道交通4、10号線のふたつが交叉する海倫路(ハイルンルゥ)駅のそばに宿をとった。漢庭(ハンティン)酒店。この簡素なホテルはチェーン展開しているので、いろんな場所で目にする。日本でいえばビジネスホテルのようなものだ。月曜日の朝8時に起きて、ホテル入口の脇に並んだ店舗のひとつ、「红烧牛肉面」の看板を掲げた店に入る。壁に貼られたメニューの写真をざっと見渡し、坊主頭の服務員に、これひとつ下さい。大きい碗か、小さい碗か。大きい碗で。ほどなくして黄緑色のスープの刀削麺が出てくる。この色は高菜の色だ。麺や高菜の上に薄くスライスされた牛肉がのっている。辣くはない。昨日の朝、これを注文する前に辣いのは要らないと言ったら、この店に辣いのは無い、と言われた。

 運河沿いの道を歩くと、10分ほどで1933老場坊に到る。この辺り、租界時代には日本人居住者の盛り場として賑わっていたらしいが、再開発により往年の面影は無い。1933老場坊は当時工部局が建設した屠殺場で、コンクリート剝き出しの堅牢な建物は内部が迷路のように入り組んでおり、その異様な空間をそのまま活かして、現在はお洒落なアートスポットとして生まれ変わっている。「19参Ⅲ」の金属プレートが穿たれたファサードの左にスタバを発見し、ちょっと休憩しようと扉を押す。

 熱いカフェラテをちびちび飲みながら店内を見廻してみる。パソコンを開いて長居していそうな学生数人、20代の女性同士数組、あとは30代くらいのスーツを着たサラリーマンで、私がいちばん年長らしかった。大陸は相対的にスタバ飲料の値段が高いが、そのこと以前に年配者にカフェ文化が根付いていないと思う。若者はファッションでコーヒーを飲み、年のいった者は普段から茶を飲む。この国には多種多様な茶があり、茶館があり、長大な歴史を持つ茶文化があるのだ。そういえば昨日クルマに乗せてくれた老板(ラオバン)も水筒の茶をうまそうに飲んでいた。店の扉が開いて、深緑のロングコートを着たすらりと背の高い女性が入ってきた。ミディアムの黒髪を揺らして、颯爽とレジに向かう。注文のあとに二言三言会話して、若い男の服務員を笑わせていた。その光景から視線をはずし、私は窓の外を眺めた。前の道路に進入してきたクルマがクラクションを鳴らし、つづいて運転手が大声で怒鳴るのが窓越しにも聞こえてきたのだ。事態はよく呑み込めないが、このあと別段何も起こらないだろうと思った。大陸でよくあることだ。不意に私の横で柔らかな風が起こり、首をそちらに捻ると、先ほどの深緑のコートの女性がすぐ隣りに座っており、〇〇さんですか、と日本語で私の姓を言った。はい、そうですけど。やっと追いつきました。わたしはFの娘ですよ。昨日、仕事で行けなかったので、今日ちょっとあなたに会おうと思ってホテルで行き先を訊いて、追いかけて来たんですよ、と今度はゆっくりとした中国語で言った。ああ、そういうことかと私は合点がいった。Fというのは昨日、上海郊外の朱家角(ヂュージアジャオ)に行く際、クルマに乗せてくれた妻の昔馴染みの友人の上司すなわち老板で、渋滞に巻き込まれた帰路、おれの娘は日本に留学していたことがある、今日も来たがっていたが、仕事で来れなかったという話を彼がしたのだ。

 このあとの予定は、と日本語で訊かれた。今なんとなく生まれた気分で、1933老場坊を見るのは後廻しにして、外白渡橋に行きたいと伝えた。彼女の勤める公司(ゴンス―)もそちら方面にあるとのことで、彼女と一緒に40分ほど虹口を散歩する成り行きになった。実際、彼女は流暢な日本語を操った。外白渡橋のちょうど真ん中あたりまで来て、対岸の浦東(プゥドン)の摩天楼群を横目に、じゃあ、お仕事頑張って下さい、と私は言った。今日は久々にたくさん日本語を話しました。〇〇さん、旅行を楽しんで下さい。と、きれいな歯列をみせて彼女は笑い、ミディアムの黒髪を揺らして大股で遠ざかっていった。私はしばらくその場に佇んで、後ろ姿を見送ってから踵を返した。橋のトラス構造越しにブロードウェイマンションの茶色の偉容があった。(了)