川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

夕陽を眺めるように

f:id:guangtailang:20180525142325j:plain2011年8月9日午後6時21分の夕陽。

f:id:guangtailang:20180525143832j:plainタイトルバックの夕陽。

『スローなブギにしてくれ』は1981年公開。藤田敏八のフィルモグラフィに於いて重要な作品だと思われる。どこかで読んだが、本人も撮ったあと、わりと自信を持っていたらしい。ただ、興行的にはとんとんだった。

何が重要かというと、藤田が初めて中年を主役に据えて撮った映画なのだ。演じたのは山崎努。苦み走った風貌と撫で付けられた黒髪で、劇中もう少し上にみえるが、当時、40代半ばである。それまで藤田は、時代風俗を彼一流のセンスで切り取りながら、一貫して若者を、それも大人(体制)に反逆する若者、その反動として「しらけ」に走った若者を主役に撮ってきたのだった。

『スロー~』でも浅野温子古尾谷雅人という若いカップルが出てくるのだが、ムスタングの男としての山崎努からみれば、彼らは郷愁を感じさせる「青春の一典型」である。もっとも山崎も枯淡の境地には程遠く、けっこうぎらついていて、青春の影を引きずっている安定しない男である。おそらくこの頃、藤田自身がそのような位置に佇んでいた。すなわち、沈む夕陽を眺めるような郷愁と哀感の念をもって、倦怠感を滲ませつつ飛び退ってしまった青春を眺めている。山崎を分身とした藤田はこの時、40代後半だった。

前年の1980年に『ツィゴイネルワイゼン』で藤田は俳優活動を開始しているが、それも何かしら影響したのか。『スロー~』以後、『ダイアモンドは傷つかない』(1982)でまたも山崎を主役に起用、『ダブルベッド』(1983)では柄本明岸部一徳大谷直子、『海燕ジョーの奇跡』(1984)は時任三郎藤谷美和子だから若いのだが、フィリピン・ロケを敢行したりして異色作である。『波光きらめく果て』(1986)は渡瀬恒彦松坂慶子、そして監督としての遺作『リボルバー』(1988)は肥ったジュリー(沢田研二)と、ほぼ中年を主役に撮っている。

藤田は1997年に亡くなるが、映画を撮らなくなったあとは、映画、テレビドラマに俳優としてのみ出るようになる。

【追記5.28】

ネットでみつけた以下の批評は藤田のプライヴェートに踏み込んで、というかそういう背景を知らないとこの映画は分からないという内容なのだが、まあ、それは極論で、知らなくても問題なく観られる。監督が登場人物の各々に自己を投射して造形することはあるだろうが、それとて「完全に監督の藤田敏八の自画像」というほどではないだろう。自己を語る際は、やはり倦怠を纏う山崎の位置にいると思う。ただ、この人が言及している藤田の「家庭の忌避」という主題は犀利な視点で、なんとなく私も考えていたことをずばっと言ってくれた感じだ。

「BS11で初めて観て気づいたけど、この映画の登場人物たち(山崎・原田の不良中年、古尾谷の身勝手な青年、浅野の放浪癖のある美少女)って、みんな完全に監督の藤田敏八の自画像なんだよ。
藤田自身が家庭が大嫌いで私生活では何度も離婚してる人で、でもそうやって何度も結婚しては家庭を壊してしまう自分の身勝手さもよく知ってた人。だからこの映画の誰も最後で幸せになれない。
浅野と古尾谷の仲はもう惰性になってて醒めてるし、山崎は心中未遂。初めの方で死んでしまう原田芳雄などはたぶん藤田の野垂れ死に願望そのまま。
山崎に別れた妻子がいる場面も、リアルの藤田にも生き別れた実子がいたので、藤田を知っている人は公開当時にあれを見て背筋が凍ったはず。山崎が荒れる場面は藤田の自虐と別れた実子への贖罪。あそこで出てくる赤座美代子は藤田の当時の奥さんだけど、現実でも赤座とも後年には離婚するというオチがついた。

そういう背景が見えないとこの映画、全く分からないと思う。角川映画でここまで自分を出す藤田敏八ってのも凄いけどね。」

f:id:guangtailang:20180528233832j:plainf:id:guangtailang:20180528233921j:plainf:id:guangtailang:20180601120839j:image