一見文句のつけようのないお天気なのだが、実のところ髪がめちゃくちゃになぶられるほどの強風である。
最近思うのだが、自分は草木の名前をあまりに知らな過ぎる。名前もそうだし、生態も知らない。母親は長年いけばなをやっているから、ぱっと見てだいたい何かわかるようだ。父親は自分と同様にほとんど知らない。
ずっと東京の下町で暮らしてきたから自宅に庭のあったためしがなく、草いじりをしたことがない。雄大で圧倒されるような自然も近くにないが、それでもこぢんまりと整備された自然なら身の周りにいくらもあるはずで、通りの街路樹だって、公園の花壇だって、駐車場の雑草だって草木だ。そういえば、高校のそばに植物園があった。しかし、ハイティーンが草木に興味を持つはずがなく、卒業アルバムの撮影で入園したのみだ。のち30代になってから、デートでこの植物園に足を運んだことがある。その時も植物に関心を持ってということではなかった。学究肌っぽい初老の男に彼女が話しかけられ、目前の樹木を示されながら解説を受けていたが、はあ、はあと頷きながら所在なげだった。彼女も特段の興味や知識はなかったのだ。季節が良くて、自分たちはただ、輝くように繁茂する緑の空間に軀を浸したかっただけなのだ。
事務所の植込みや2階のベランダの鉢に母親が植えた草木があり、色鮮やかな花を咲かせているやつもある。まずはこういうものから注意を払っていこう、と輝くように繁茂する草木が笑っているような今日に思いました。
2010年7月19日、軽井沢、室生犀星旧居。立派に蘚むして趣きがあるが、犀星自身が築庭したという。木洩陽がスポットライトのようだ。