川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

ガキどもとじいさんら

f:id:guangtailang:20180324213952j:plain2008年4月11日、台東区清川2丁目。春のドヤ街。

母親の実家がある神戸で私はこの世に生まれ落ちたが、育ったのはずっと台東区北部の隅田川沿いで、山谷(さんや)と呼ばれるドヤ街に近接していた。そんな説明を別の土地の人にすると、小さい頃、危険な目に遭わなかったかとよく訊かれるのだが、1度も遭ったことが無い。公園に遊びに行けば、山谷のじいさんが三々五々集まって日向ぼっこをしている(たいてい安酒をひっかけている)のは日常の光景だったが、バットを振り回したり、サッカーボールを蹴って、ぎゃーぎゃー騒ぐガキどもと平然と共存していた。ガキどもにとって彼らは人畜無害の風景のようなものだったか、あるいはむしろ、山谷のじいさんらとガキどもはフレンドリーな関係を維持し、過ごしていたかも知れない。

未就学児の頃は親の付き添いなしに公園へ行くことはなかったろうし、中学生ともなれば俄然異性に興味が湧き、放課後の部活もあるし、いくら学歴軽視の土地柄とはいえ、寺の息子や靴メーカー経営者の娘などは塾通いを始め、遠出もするようになるから、山谷のじいさんどころではなくなっただろう。やはり小学校の6年間、なかんずく中学年以上になってからの気がする、山谷のじいさんらと淡くも親和的な関係を結んでいたのは。ボールがじいさんらの輪のなかに転がり込めば、なかのひとりが、ほらよ、と赤らんだ笑顔でほおって返してくれるし、公園の時計が午後6時を廻りあたりが暗くなれば、まだ帰らねえのか、お母さん心配するぞ、と気にかけてくれた。ある時、ひとりのじいさんが木陰で滝のように勢いのある立ち小便をしていて、ガキどもは興味津々でちんぼこを凝視したこともあった。じいさんは目をつむって気持ち良さそうだった。ちょっと白痴のようなじいさんがいて、いつもへらへら笑っていたのでガキどもにからかわれていたが、その人はどうゆういわれか、へちまと呼ばれていた。

ともかく、必要以上にこちら側に踏み込んでくることもない、皺だらけの草食動物のような彼らに、ガキどもはネガティブな感情を持っていなかった。多少衣服が汚れているとか、酒臭いとかあっただろうが、ガキどもも泥だらけになって遊んでいるわけだし、柔和な赤ら顔を向ける彼らのそんなところも気にならなかった。

今思えば、じいさんらのガキどもをみる視線は、孫を見守るそれに似ていただろう。山谷の歴史を繙けば、戦後の高度成長期には暴動が頻発するなど血気盛んな時代もあったようだが、私がガキどものひとりだった昭和が終わる頃、空間を共有していた彼らはすでに「あがった」人たちだったのだ。酒で皮膚が黒ずんだりたるんだりし、眼窩の落ちくぼみ歯の抜けた彼らの年齢は70代にみえたが、65前後が平均だったのかも知れない。さすがに親も注意喚起していたと思うが、玉姫神社や泪橋附近、いろは会商店街など山谷のメッカといえる地域にはガキどもも強いて足を踏み入れなかった。ガキどもはじいさんらが抱えている背景に対し、少しの顧慮も関心も無かった。その意味でやはりありふれた奥行きのない風景に過ぎなかったのだろう。ガキどもとはそうゆうものである。