午前5時29分。新幹線の改札はまだ閉じられている。電光掲示板にある6時14分の「とき」に乗る。この時間でも車内は6割くらい埋まっていた。ただ、大半は越後湯沢で降りていった。温泉かスノボーか、その両方だろう。
長岡には7時49分に着いた。駅の便所から出る時、地味なジャケットにコートの男とすれ違った。テレビで見たことのある顔だなと思い、すぐに蓮池薫さんだと思い当たった。
悠久山公園の郷土資料館。だいぶ前に1度来た。駅工事の際に見つかった城塁(礎石)を使って城を模している。
※北越戊辰戦争(1868)で長岡城は焼失し廃城となったが、その場所に現在の長岡駅が建つ。
長岡市街を望む。ちょっとグレーがかったようなブルーの空。手前の大きな施設は屋内プール。
信濃川を東からに西へ渡る。長岡ニュータウンの歴史、その紆余曲折について語るのは大変だ。興味があればWikipediaを覗いてみて下さい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/長岡ニュータウン
新潟県立歴史博物館。立派な施設だが、アクセスはお世辞にも良いとは言えない。ここも長岡ニュータウン計画の紆余曲折のなかで建設されたのだ。
雁木の発祥は上越の高田らしいが、そこでの昭和30年代の雪下ろしを再現した規模の大きいジオラマ。噛めば噛むほど味が出るというか、じっくり見ると中身の濃い有益な展示が多い。
平成の大合併で寺泊が編入され、長岡市は海に面するようになった。西生寺(さいしょうじ)という山寺の奥にある「北陸随一」の大展望台。ちょっと言い過ぎなんじゃないかと、人は思う。
どれどれ。
空も海もブルーがかったグレー。
シーサイドラインを走る。初夏と言っても通じるようなムードだが、栃尾とか山古志の方はまだ分厚い雪が残っていて、幹線はともあれ峠道は冬季閉鎖も解除されていない。長岡は広い。
※無論、時代も季節も違うのだが、この土地に来たことでふと思い出したのが水上勉の「寺泊」で、あの短篇は冒頭、冬の寺泊の海と雪の荒涼とした描写がつづく。その後、鼻の高い都会風の女が病人の夫をおんぶしてバラック小屋まで行き、大勢の村人に混じって湯気の立つ蟹にむしゃぶりつくのを作者が目撃する印象的な場面があるのだ。たしか、村人の話す言葉の訛りがきついというような描写もあった。現在は、関越道を運ばれてきた角上魚類の海鮮を東京にいながらにしてむしゃむしゃできてしまう。
リバーサイド千秋のフードコートにて、長岡のソウルフード、イタリアン(うま辛肉そぼろ)を食す。
かっこいい長岡駅。クルマを返却する時、服務員の女性に「道はすいすいいけました?」と言われ、山ではなく海の方へ行ったので、「ええ。ただ、リバーサイド千秋ですか、あの一帯はちょっと動かなかったですね」と答えると、「わたしは休みの日、あの辺には近づかないことにしてます」と彼女は笑った。
CoCoLo長岡のフードコートにて、長岡のソウルフード、イタリアンを食す。2回目。のち、炭水化物の著しい摂取を反省。
中越出身の方から薦められたので買ってみた。