川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

松山城 

f:id:guangtailang:20180320094845p:plainf:id:guangtailang:20180320094933p:plainf:id:guangtailang:20180320095014p:plainf:id:guangtailang:20180320132826p:plain愚陀仏庵。2010年7月、土砂崩れにより全壊するも、現在は再建されているらしい。

f:id:guangtailang:20180320134253p:plain2008年1月に閉店したラフォーレ

f:id:guangtailang:20180320134838p:plainf:id:guangtailang:20180320095102p:plain2008年8月14日、松山城。もう10年近く前か。お盆休みにたいした予定も無かった私は、大学時代の友人が恋人(当時)と松山にいる時期を狙って、落ち合う計画を立てたのだった。今考えるとお邪魔虫である。いや、当時もその自覚はあったろうが、他方で彼らもずっとふたりで行動しており、そろそろ無聊をかこっているんじゃないかというような勝手な判断があった。

松山は友人の母親が郷里の母親を介護している場所であり、待ち合わせのJR松山駅に着くと、友人とその恋人、母親がクルマで迎えに来てくれていた。松山に初上陸した私はこの時初めて、JR松山駅ではなく伊予鉄松山市駅こそがこの街の中心だと知った。人口51万7千人。

と、ここで記憶が呼び起こされた。それを画像と照合してみる。そうか、私は友人たちと落ち合う前日の朝には松山に着いており、先にひとりで松山城に登ったのだ。蝉時雨の降り注ぐ登城道を汗したたらせ、瀬戸内だからか神戸の夏に似ているなあなどと思いながら。ところてんはその時に食べた。とすると、友人たちと落ち合ったのは翌15日だ。ビジネスホテルに1泊して、あらためて駅前で落ち合ったのだな。それでまた4人で松山城に登る時にはリフトを使った。友人の母親が私の前の椅子に乗り、中空の彼女が被っている麦わら帽子のつばがひらひらするのをぼんやりみた。ぎらぎらと太陽の照りつける本丸広場を女性ふたりが日傘をさして歩き、友人と私は後ろからついていった。せっかくだから上まで上ろうぜ。あんたたちだけで行ってもいいわよ。いや、やっぱりみんなで行かないとな。天守まで上り切った頃には4人とも汗みずくで、顔を見合わせて苦笑いした。

坊ちゃん列車、道後温泉、市駅地下街、ひとりで行った今治港松山空港、それらの断片的な記憶があるが、2泊したホテルの記憶はすっぽり抜け落ちている。最後の1枚はホテルの部屋から撮ったのかな。