川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

三重

2010年8月7~9日、大学時代の友人とその妻、私の3人でした夏の三重縦断旅行。今でも良いアイディアに思えるが、最初友人の発案だった。大学時代の恩師がちょうどその時期三重に滞在しているので、それに合わせて行こうということだったと思う。

新幹線で名古屋まで行き、プリウスを借りる。

f:id:guangtailang:20180226105142j:plainf:id:guangtailang:20180226110117j:plainf:id:guangtailang:20180226123336j:plain7日、木曽三川公園の展望塔より臨む。

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f:id:guangtailang:20180226105229j:plain宝暦治水(1754~1755)で多大な犠牲を払った薩摩義士像。以下、Wikipediaより。

「宝暦治水事件(ほうれきちすいじけん、ほうりゃくちすいじけん)は、江戸時代中期に起きた事件。幕命によって施工された木曽三川木曽川長良川揖斐川)の治水事業(宝暦治水)の過程で、工事中に薩摩藩士51名自害、33名が病死し、工事完了後に薩摩藩総指揮の家老・平田靱負も自害した。」

f:id:guangtailang:20180226110400j:plain海蔵寺平田靱負(ひらたゆきえ)像。旅行の前にたまたま平田弘史の劇画『薩摩義士伝』を読んでこの事件を知り、三重を訪れるのだったら是非とも寄りたいと思っていたのだ。同行の友人たちに興味はなかったろうが。

f:id:guangtailang:20180226110253j:plain和洋合体、六華苑。

運転は主に県北部を私が担当、伊勢志摩を友人が担当したように記憶している。鳥羽からの帰りは私だった。

f:id:guangtailang:20180224130634j:plain三重県志摩市安乗埼灯台。水平線にかすかに虹がかかっている。

f:id:guangtailang:20180224130720j:plain伊良子清白(1877~1946)「安乗の稚児」。

f:id:guangtailang:20180224130811j:plain夏の真っ只中にありながら、叢から聞こえてくる虫の音に妙に夏の終わりを感じ、友人たちも同じ感覚を持ったらしく、車内でそれについて喋ったのを憶えている。

f:id:guangtailang:20180226102444j:plainf:id:guangtailang:20180226124253j:plainf:id:guangtailang:20180226102542j:plain鳥羽市立海の博物館。僻地に建つ。

 

f:id:guangtailang:20180224130904j:plainf:id:guangtailang:20180224130945j:plain鳥羽市鳥羽一丁目。赤福鳥羽支店の隣りに建つ。受付していた地元の少女に、「多摩の人ですか?」と問われる。※清白邸移築の設計に多摩美術大学が関わっている。

f:id:guangtailang:20180224224926j:plainf:id:guangtailang:20180224131033j:plainf:id:guangtailang:20180227130854j:image鳥羽港からクルマごと伊勢湾フェリーに乗り、渥美半島の突端伊良子岬に渡る。鳥羽港に着いたのが出航間際の時間で、船尾ぎりぎりにプリウスを載せた。扉が迫り上がってきて閉まる。友人たちも言ったが、旅のハイライトだった。※そういうわけで、フェリーがやってくる写真のみ別の機会に撮ったものだ。

他にも津で鰻を食ったり、松阪で地元の夏祭りに紛れ込んだり、本居宣長松浦武四郎の記念館を廻ったり、鳥羽城本丸跡地に建つ廃校を見たり、海老のでかい天丼を食ったりした。岬から豊橋駅まで半島のドライブを楽しむにはすでに疲弊していた。駅前でクルマを返却して、新幹線で帰京。この赤い半袖シャツは著しい体型の変化により今では到底着られない。

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