川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

深谷

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郷土の偉人、渋沢栄一の「中の家(なかんち)」。血洗島(ちあらいじま)というおどろおどろしい地名の場所にある。この地名の由来について、Wikipediaには以下の諸説が載っている。

  1. 血洗島の生まれである渋沢栄一が『龍門雑誌』に以下のような言い伝えを書いている。それによれば「恐ろしげなるこの村名のかげには幾多の伝説や口碑とが伝わっている。しかしそれは赤城の山霊が他の山霊と戦って片腕をひしがれ、その傷口をこの地で洗ったという」。
  2. 八幡太郎義家の家臣が、戦いで切り落とされた片腕を洗ったところからその名がついた。
  3. 「血洗」(けっせん)は当て字で、アイヌ語の「ケシ、ケセン、ケッセン」(岸、末端、しものはずれ、尻などの意)など、東北・北海道に気仙(ケセン)沼・厚岸(あつケシ)などと共通する同意語ではないか。
  4. その地が利根川の洪水による氾濫原であることから、もとは「地洗」(ちあらい)、「地荒」(ちあら)だったのが、「地」の字がいつの間にか「血」となった。