川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

流星のように

潤一郎の未完小説「鮫人」(1920・大正9)を読む。バルザック的大作を目指して書かれ始めたとも言われるが、物語が進むほど散漫になり、深夜の浅草の描写で途切れた。同年、潤一郎は横浜の大正活映株式会社文藝顧問に就任しており、そっちが忙しくなったとか、家庭がごたごたして執筆どころじゃなくなったとか、単にこの作への興味を失ったとか、中絶の原因はいろいろあるようだ。

この小説で有名なのは梧桐の貌の描写だ。十数頁にわたって執拗に、思わずにやにやしてしまうほどこってりと描かれる。それで読んだ人はそのことばかり取り上げるのだが、個人的に僕が好きなのは、梧桐の一座が陣取る中空に吊り下げられた楽屋や、隅田川沿いに建つ梧桐の三階建ての家の描写である。キッチュな風が目に浮かぶようだ。それと、浅草松葉町(現松が谷)の陋巷に住まう服部の懶惰で不潔な生活、なかんずく節度のない飲食の描写が、これは潤一郎じゃないと書けないものだと感じ入った。ちなみに鮫人は〝鮫人間〟ではなく、〝人魚〟だそうですよ。中島敦に「牛人」(1942・昭和17)という短篇があるが、こちらはほんとうに牛のような人間だった。

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あの人に会いたい。もう一度ぶたれてみたい。もう一度、あの人の足もとに倒れてみたい。

周作の「月光のドミナ」(1958・昭和33)を読む。周作の小説は何も読んだことがなかったのだが、はじめの一篇がこれで良かった。

変態文学大学生のおにさんによれば、潤一郎の「日本に於けるクリップン事件」とともにこれが〝私的マゾヒスト三大説明書〟のひとつに数えられている。なんというか、構成がすっきりしており、頭に入りやすい。語り手(遠藤)がパリ留学時代に知り合った千曲という男が、遠藤が帰国してしばらくのち、作家として立った頃、唐突にノートを寄越す。訝しむ遠藤だったが、そこには自分がいかにしてマゾヒストとなったかの経緯が理解者を求めるように綴られていた。これを読んだ誰もが言及する、若き千曲が大磯の砂浜で深夜、月光を浴びた素っ裸の白人女性と邂逅する場面。このことが彼の宿痾となった。

f:id:guangtailang:20200714123025j:imageツルゲーネフ『父と子』(1862)を読む。主に会話劇。無論、当時の社会情勢(農奴解放)もありましょうが、新世代はともあれ、〝全否定〟の語りやそれに附随する傲岸な身振りに没入するには自分が齢をとってしまったので、個人的にバザーロフにシンパシーを感じにくかった。友人の家に招かれながら、いきなり伯父さんに喧嘩売るのかよ。むしろ、パーヴェルやバザーロフの両親など旧世代に哀感を感じてほろりとなった。ニコライと同じくらいの年齢ですから、今の僕は。ニヒリストといって、アルカーヂイだってそうだが、バザーロフほど根底的じゃないわけで、要は気質ということにもなりますわな。バザーロフのオヂンツォーワへの愛の告白は原理が邪魔し、随分とひねくれたものだ。決闘のあたりからおもしろくなった。その後、伝染病で死にゆくくだりに彼のニヒリストとしての面目は感じる。しっかし、農奴制というのはほんとうに近代ロシア史の大問題ですね。