川の照り

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

ラジオトーク

南千住の跨線橋。冬の空は雲も少なく透き通ってもっと高かったろう。

f:id:guangtailang:20200625090724j:imagef:id:guangtailang:20200625161237j:image彼女のラジオトークの質問箱(仮)も現在230本を超えているが、そのうち4分の3くらいはここ1週間で聴いた。中文で喋っているこぼれ話の方は本数が少ないが、そっちもいくつか聴いた。基本、就寝前に耳のそばにスマホを置いて微細なヴォリュームで聴いているのだが、隣りでは浙江省出身の女が眠っている。浙江省出身の彼女のラジオを浙江省出身の女の隣りで聴いている、そんな具合だ。だから、ロマンポルノやロシア語学習は現在小休止である。ちなみに、ラジオトークウラジオストクはやや似ています。

彼女がラジオトークの中で自ら公表しているから、略歴を書いてみる。1989年浙江省台州市臨海市生まれ。高中まで過ごし、大学は杭州にある財経大学に進学。卒業後、北京に行き、就職。職場を転々としながら5年ほど過ごすが、日本語への情熱止みがたく、日本への留学を決意する。2017年来日。専門学校のアナウンス科で2年研鑽を積み、卒業。現在に至る。

聴いた誰もが彼女の日本語発話、語彙力、呼吸のあまりのネイティヴぶりに驚嘆する。女も彼女の声を聴いた時、日本人だと信じて疑わず、自分と同じ浙江省出身の中国人とはゆめゆめ考えもしなかった。日本人の親族を持たず、20代後半まで日本への留学経験もない、彼女の言い方を借りれば、「日本に縁もゆかりもない」人間にこのようなことが可能なのだろうか。可能なのだ、という答えの存在が彼女である。ちなみに、浙江方言(呉語)は実に多様らしく、臨海と諸曁でもまたかなり異なり、方言で会話した場合、どの程度の意思疎通が可能なのだろうか。と、女が妹と方言で話す横で考える壮年なのであった。

彼女の日本語運用能力の高さ、もはやそれは驚異であると同時に自明であると壮年は感じているので今回は措き、ラジオトークの中で個人的に印象に残ったエピソードを語りたい。彼女が初来日を果たした時の印象を語った回。専門学校の下見で来た、1月だった。羽田から京急線に乗り、車窓から大田区の風景を眺めた。天気がよく、建物がやけに白っぽく見えた。初めて降り立った駅は南千住。そこに宿をとっていたから。歩道橋の上でふと空を仰いだ。通行人は何人かいたが、妙に静かで、下に何本も線路が見え、不思議に懐かしいという感情に捉われた。しかし、それよりももっと彼女の感情が込み上げてきた瞬間がある。それは北京国際空港の出国ゲートをくぐった時。それまで通訳やイヴェントの仕事で、訪中した日本人が帰国のため、ゲートの向こうへ消えていくのを見送ることが何度もあった。その頃は将来への展望もひらけず、自分は果たしてこのゲートの向こうへ行けるのだろうか、もしかしたら一生行けないで終わるんじゃないだろうかとネガティヴな気持ちになったことさえあった。2017年1月、ついに自分がゲートの向こうに立った時、彼女は涙ぐんだ。

これは別の回に語っていたが、南千住に宿をとり、初めて行った街は三ノ輪だった。ふつう、初来日した外国人が行く場所じゃないよねと彼女は笑うが、地元の壮年から言わせると、南千住に宿をとる外国人は多いので、隣接している三ノ輪はわりかし外国人が歩いています。現在は無論いないけれども。都電荒川線で大塚まで行き、街を徘徊した。あと、これまた別の回だが、おすすめの街として日暮里を挙げていた。いかにも観光地然として人がわさわさしている場所よりも、渋好みなのだ。

ところで、2017年1月といえば、壮年と女は南千住のURマンションに寝起きしていた。この不便な歩道橋を壮年は数限りなく往来している。日に数回使用することもある。現在でもそうだ。だから、初来日時の彼女と壮年が擦過していないとは言えないのだった。

f:id:guangtailang:20200625113446j:image浙江省。比較的裕福で、商売に長けた人、教養人がいる場所。寧波だったかな、科挙の合格者がやたら多かった気がする。天一閣のある城市ですし。唐の時代から日本との関係も非常に深い。それにしても複雑な海岸線だね。