川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

湧水を汲む活動、または濡れて輝く

f:id:guangtailang:20200614161818j:image前日から天気予報を注視していたが、午前中は持ち堪えるか降っても小雨だろうと踏んで、午前9時前に出発。10時過ぎには出流原弁天池に到着。降雨はない。Hさんリクエストの湧水を汲む活動。ここ最近、スーパーでミネラルウォーターを箱買いしている彼女だが、思いついたように湧水のことを口にし、納戸のポリタンクをいじっている。壮年は湧水とミネラルウォーターについて一応調べたことがあるが、要はどちらも地下水で、なんの処理も施していないのが前者、飲用に適するよう人工処理を施したのが後者ということのようだ。とすると、念のため湧水にはなんらかの処理を施す必要があるようなものだが、中国人のHさんは絶対に冷水は飲まず、常に煮沸しているのだった。それで壮年も大丈夫だろうと満足している。さらに、われわれがこれまで湧水を汲む活動の舞台に選んだ尚仁沢湧水、風布川日本水、そしてこの出流原弁天池湧水は名水百選に選ばれているので、湧水地としての質を低下させぬよう自治体が定期的に検査しているんじゃないかと推測して、それで壮年も大丈夫だろうと満足している。

f:id:guangtailang:20200614162017j:imageホテルの入口脇で汲む準備をしていると、たまたま服務員がふたり表に出てきたので、一声かける。そして賽銭箱に100円を入れ、ポリタンクを洗い、セッティング。こうして竹筒からとめどなく流れ出る湧水を眺めているのが気持ちいいんですね。

f:id:guangtailang:20200614162036j:image道の駅 どまんなか たぬまで野菜など買い、昼飯。ソーシャルディスタンスで席数が減らされているので、しばらく待ってから着席。客は次から次に来るが、見た目にはそう見えなくても、満席なのだ。

屋外に出るとついに雨が降り始めた。駐車場のクルマを一応確認するが、足立ナンバーがいるし、練馬、品川もいる。相模、千葉。さらにわれわれの右隣りが長野で、左隣りが仙台だった。さすが「どまんなか」だと感心する。

f:id:guangtailang:20200614162220j:image雨だからやめましょう。そんな風にして来るのをやめた人たちも多いかも知れない。クルマの後部には常時2、3本のビニル傘が放り込んである。そのことを想起して寄ってみたあしかがフラワーパーク。来園は初めて。正面ではなく、西ゲートから入ってしまったようだ。駐車場にはけっこう空きがあった。

f:id:guangtailang:20200614162231j:image濡れて輝く。

f:id:guangtailang:20200614162340j:imageHさんはいたく気に入ってしまったようだ。なぜもっと早く来なかった、存在を教えてくれなかったのだと詰問するから、以前に一度来ようと思ったが鬼のような渋滞が高速の出口から伸びていて断念したのだと弁解する。代わりといってはなんだが、他のフラワーパークにはたくさん行っているぞ。浜松でも行ったじゃないか。

f:id:guangtailang:20200614162356j:imageHさんを吸引する何かがこの花園にはあるのか。いや、彼女に限らないが。

f:id:guangtailang:20200614162408j:image濡れて輝く。

f:id:guangtailang:20200614162459j:image雨は止まないが、それほど強いわけでもない。一番遅いワイパーで事足りるくらいだ。Hさんは乳白色の中で微睡んでいる。壮年は昨晩見たバルクル・カザフ自治県の哈薩克族(ハザック族)の映像を思い浮かべていた。本物の騎馬民族が目の洗われるような大草原で馬を操っている。その老若男女に目が釘付けになったのだ。島国の俳優が2ヶ月や8ヶ月訓練して乗馬する姿とは、当たり前だが違い過ぎた。それは仕方のないこと。彼らの生活、馬を離れて一秒たりとも成り立たないのだから。

バルクルはラクダと馬の飼育で有名である。バルクルの馬は中国中で知られている。ラクダの数の多さは中国で他に類を見ず、「千の駱駝の里」と称される。Wikipedia

帰りの東北道も渋滞せず、午後4時帰宅。

f:id:guangtailang:20200615090502j:image佐野市、人口11万5千余。足利市、人口14万4千。アウトレットやらイオンやらある佐野新都市というのは、事業主体がURなんだな。

f:id:guangtailang:20200614164118p:plainシルクロード 絲綢之路 第11集 天馬のふるさと 〜天山北路〜」(1981年2月2日)。積み上げられる名産のハミウリ(哈密瓜)。石坂浩二のナレーションはちゃんと服務員と発話していて感心した。

f:id:guangtailang:20200614164225p:plain西安から4,520km、当時のソ連国境(現在はカザフスタンだろう)附近まで来た取材班は、人民解放軍の許可が得られず、それ以上進むことなく引き返した。それで憎々しげとは言わないまでも、解放軍の陽に焼けた若々しい仏頂面を撮っている。

f:id:guangtailang:20200616133241j:image

f:id:guangtailang:20200615121119j:imagef:id:guangtailang:20200615121137j:imagef:id:guangtailang:20200615121148j:image※おまけ。ドストエフスキー死の家の記録』は5月20日から読み始め、数日前に読み終えた。のれないまま数百頁進み、後半まあまあおもしろくなった。物語と呼ぶには起承転結がなさ過ぎるから、記録なのだろう。不潔きわまりない大衆浴場、獄内演劇、監獄の動物たちなどの描写が印象に残っている。一方、多民族国家ロシアの縮図のようにさまざまな民族、さまざまなキャラクターが出てくるのだが、なにか解せないのはこの記録の中に本物の悪党がいないことだ。皆、シベリア送りに見合う罪状でそこにいるわけで、胸の悪くなるような、社会性の欠如した、言語を絶する悪党が何人か出てきてもおかしくはない。ゴリャンチコフ(観察者、妻殺し、貴族)の紹介の仕方にもよるだろうが、彼の目に映る囚人たちにはそこまでの迫力がない。また、そうゆう描写に終始しているとも言える。人間関係もともすれば和気藹藹といった雰囲気すら感じられる。読書ガイドの中で、シャラーモフがそのあたり指摘していると書かれている。まあ、シャラーモフがどんな方か存じ上げないから、とりあえずWikipediaで調べるけれども。ただ、当時のロシアにおける貴族と農民のあいだの埋めがたい溝というのがよくわかった。

f:id:guangtailang:20200615122503j:image