川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

母校

f:id:guangtailang:20200605184225j:image午後、仕事で高校時代使っていた駅で下車する。何年ぶりだろうと考えて思い出せないが、まあ久しぶりである。ちょうど下校の時間と重なり、若人たちがぞろぞろ向こうから歩いてくる。中学生も高校生もいる。男子も女子もいる。今でも変わっていなければ中高一貫の男子校のはずで、ただ私は高校からの外部進学組だった。女子は系列の女子校の生徒で、記憶によれば文化祭の時くらいしか交流の機会はなかった。額をぬら光らせた太り肉の先輩に、後輩たちは一瞥もくれはしない。

ふたつのエピソード。

だいぶマシになったとはいえ今でもそうだが、私は朝、腹が弱い。高校時代は特に脆弱だった。ある朝、軽快に家を飛び出したはずが、新宿線に乗っているあたりから冷や汗が出るほどの腹痛が断続的に起こり始めた。さすがに車内で漏らすわけにはいかぬと波を耐え抜き、かろうじて三田線に乗り換えるが、もう物事がまともに考えられないところまできており、ついに我慢の限界数歩手前、まろび出るように下車した。そしてなぜか駅のトイレではなく、地上の、蕎麦屋の便所に飛び込んだ。勿論、店の人には断ったと思う。だが、そんな記憶は飛んでしまっている。もしかしたら駅のトイレが満室だったのかもしれない。でないと辻褄が合わない。だが、そんな記憶は飛んでしまっている。とにかく、蕎麦屋の和式便器に跨った時の安堵感といったらなかった。その感じは今でも思い出せる。店の人にお金を払った方がいいんじゃないかとちょっと考えたほどだ。丁寧にお礼を言った、と思う。後年、この蕎麦屋が気になって探したのだが、なぜか見つからない。おかしいなと思案したが、もしかしたら一個手前の駅で下車したのかもしれない。しかし、そんな記憶は忘却の彼方である。今さらその駅で降りて探す気はない。ただあのまぼろし蕎麦屋にはずっと感謝している。

大学に合格し、母校に報告に行った。教員室で担任に報告し、誰はどこに合格したとか、彼は今どうしているかきみは知っているかとか、そんな話をしばらくしたあと退出した。と、廊下で呼び止められ、振り向くと基礎解析の教師だった。相変わらず銀髪をきれいに撫で付けている。私はこの科目が大の苦手で、試験で一桁台のとんでもない赤点を叩き出したことがある。それもたしか2回。だから私を劣等生と認識しているであろうこの教師も苦手だった。やや緊張して対面する。「鶴岡、おまえ、美大に受かったんだって。でかしたな! 美大は何年かぶりだぞ」と、彼は満面の笑みで言うのだった。でかした、という言葉はこうやって使うのかとその時思った。そして、教師のその時の笑顔は今でも思い出せる。

f:id:guangtailang:20200605184232j:image昼。ローストポーク丼、海鮮マリネサラダ。