川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

ふとキリル文字

31日、曇り。高速に上って笠間市へ。Jとの三峯神社以来の遠出だとすれば、2ヶ月ちょっとぶりか。この間、クルマ自体に乗らなかった。Hさんも久しぶりだったので、少し酔ってしまう。私は肥えてしまい、シートベルトを押し上げる躰になっていた。

f:id:guangtailang:20200531175231j:image田園風景。うっすら陽が差し始めた。農道の先に古民家風のカフェはある。

f:id:guangtailang:20200531175253j:imageしょうが焼きとぶりの照り焼きプレート。Hさんがあまり食欲を示さず、私がエビフライ、カーフェイジェリーなどを2人分食べて、さらに肥えてしまう。

f:id:guangtailang:20200531175450j:image店の入口から農道を眺める。それから笠間市の人口を調べる。7万3千8百余。

高速のSAやPAも施設の一部が閉鎖していたり、早仕舞いしており、まだ本調子とはいかない。

f:id:guangtailang:20200531175606j:image20日から読んでいる『死の家の記録』(ドストエフスキー光文社古典新訳文庫・望月哲男訳)はなかなか進まず。語り部の観察している囚人が次から次に紹介されるが、どうもとりとめがない。200頁ほど読んで、まだのれていない感じ。文庫としてはかなり分厚いからまだ序盤に過ぎない。ただ、キリル文字を一通り読め、簡単な単語くらい覚えたいとふと思う。そうすればこの状況が収まってのち、ウラジオストクを訪れた際、看板やメニューなんかを読んで楽しいだろう。思い出したが、大学時代の授業(オフキャンパスといったと思うが)で横浜美術館ロシア・アヴァンギャルド展を見に行った。その時、友人Iと網膜に焼きついたキリル文字のカッコよさについて語り合ったものだ。すでに20数年も前の話だ。ウラジオストクは〝Владивосток〟。ドストエフスキー死の家の記録なら〝Фёдор Миха́йлович Достое́вский『Записки из Мёртвого дома』〟

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まわりを山で囲(かこ)まれた笠間(かさま)は、むかしから人々がたくさん住(す)んでいました。奈良時代(ならじだい)にかかれた、古い書物(しょもつ)として知られる「常陸国風土記(ひたちのくにふどき)」の中にも「笠間村(かさまむら)」というなまえが出てきます。

笠間市公式ホームページ かさまのなりたち)より抜粋。