川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

丝绸之路①

17日、晴天。気温も30℃近くありそう。思いつきでバドミントンのラケットとシャトルをリュックに詰め、荒川(放水路)の河川敷に行く。

なんとなく予想はしていたが、シャトルが風に流されて、思う場所に全然飛ばない。まともに打ち合えないからHさんもうんざりした声を出し、早々に諦める。汗もかかず。昼時だったので、飯を食おうとなる。相済みません。次回はフリスビーでお願いします。

f:id:guangtailang:20200517180814j:image完全に3つの密を避けられる空間。

f:id:guangtailang:20200517180848j:image川風に敗北し、すごすごと土手に引き上げる壮年。リュックのラケットが侘しい。それにしてもなんたるブルーの空。

f:id:guangtailang:20200517181139j:image抜けられるかと思えば行き止まり。行き止まりかと思えば抜けられる。東向島の迷路のような路地に苦労しながら、和食レストランまでたどり着く。久しぶりの外食。

最近、満洲関連の読書を続けざまにして気鬱になっていたので、ここいらで中国のまったく異なる場所を舞台にした、浪漫的な、悠久の歴史を感じられる中国のコンテンツはないかしらんと考えて、たしかシルクロードの特集がNHKオンデマンドにあったなと思い出し、帰宅後に視聴してみたら、ハマってしまう。Wikipediaの番組概要から引用すると、以下のようなものだ。

1979年から1980年にかけ取材し、NHK中国中央電視台により中国・西安を出発点に、中国領内シルクロードの共同取材が行われ、全12回シリーズ『日中共同制作シルクロード 絲綢之路』が、1980年4月から1年間放送された。

中国以西の取材に向け数年間交渉し、さらにインド・ユーラシア大陸中央アジア)・アナトリア半島・地中海からローマへ至る道を紹介した『シルクロード第2部 ローマへの道』が製作され、全18回が1983年4月から1984年9月までシリーズ放送された。

特に外国メディアにより、中国領土内のシルクロードの取材が認められたのは、この番組が初めてで、大きな関心と反響を呼んだ。またソビエト連邦アフガニスタン侵攻によりアフガニスタン取材が不可能であった事やイラン革命後まもないイラン、イラン・イラク戦争当時のイラン・イラク両国の取材など、歴史紀行番組ではあるが当時の国際情勢も反映していた。

井上靖司馬遼太郎陳舜臣加藤九祚等の作家・東洋学者が、現地でゲスト登場した回もあり、各自紀行記を下記の関連書籍に執筆した。それらは多数重版している。

1980年代以降のいわゆる「シルクロードブーム」は、この番組が火付け役となった。

f:id:guangtailang:20200517194956p:plain1978年に日中平和友好条約が締結され(8月)、鄧小平が中国首脳として初来日を果たす(10月)。そして12月、鄧小平指導体制による「改革開放」路線が決定する。

この特集番組は上記の通り、1979年から1980年の中国西域の映像を記録している。毛沢東の死からまだ3年。大躍進政策文化大革命で疲弊した中国経済の再建はこれからという時期だ。まだ第4集までしか見ていないが、現在の中国、なかんずく沿海部の発展ぶりからすると、これら映像の街並み、人民の質朴さには隔世の感を禁じ得ない。また、私的な関心に引きつけて言えば、ロマンポルノは同時代の日本で撮られているが、当時の彼我の差はかくも大きかったのかとあらためて驚かされる。

第1集で兵馬俑が出てくるが、まだ発掘に取り掛かったばかりで一般の展示に至っておらず、どうぞ2000年にお越しください、と石坂浩二のナレーションが言う。この悠長さが中国ぽくて良い。実際、私は2000年代に兵馬俑を見に行ったのだが、圧倒されました。なにやらでかい土産物屋で入店後に出口が見つからなくなり、閉じ込められたのもいい思い出です。

f:id:guangtailang:20200517195024p:plain陳舜臣先生。2015年にお亡くなりになっている。この、子供がどんどん湧いてくる感じは、私が両親や祖母、弟と一緒に1980年代半ばに中国を旅行した時そのまんまだ。もっとも、こちらも小学校中学年の子供だったが。

f:id:guangtailang:20200517195053p:plainところどころ、こうゆう趣きのあるショットが挿入される。制作者らがこの特集番組を並々ならぬ熱情を注ぎつくっていることは、視聴しているとよくわかる。

f:id:guangtailang:20200517195120p:plain石坂浩二の軽妙洒脱なナレーション、喜多郎シンセサイザーを駆使した音楽の妙味は、視聴する誰もが感じるところだろう。

f:id:guangtailang:20200517195147p:plain象棋シャンチー)をする人民。中央の縦線が引かれてない領域は河界というんだっけか。

f:id:guangtailang:20200517195300p:plain敦煌莫高窟の壁画。『グレートウォール』(原題 長城・2016・張芸謀)にも夥しい数出てきた中国神話上の怪物。憂鬱や薔薇って書ける、というのもいいが、饕餮って書けると問うてみてもいいんですよ。

f:id:guangtailang:20200517195333p:plain井上靖先生。1991年にお亡くなりになっている。日本で敦煌といえば、ということなんだろう。

f:id:guangtailang:20200517195358p:plainWikipediaによれば、

アメリカのラングドン・ウォーナーが調査のために莫高窟を訪れたのは1924年だが、探検隊が壁画を剥ぎ取ったあとがある。

f:id:guangtailang:20200517195447p:plain日本のちんまりとした温暖湿潤のうみやまのあいだとはまるで違う果てもない乾燥した大地をゆく。黄砂はこの一帯で巻き上げられ、島国まで到達するのだろう。

f:id:guangtailang:20200517195604p:plainクルマで走行不能な場所に差し掛かると、そこからラクダに乗り換える。馬よりは乗りやすいとか、水なしで72日間生きたラクダの記録があるとかナレーションが言う。乾燥大地ゆえ、腐らぬままのラクダの足が落ちていたりする。

f:id:guangtailang:20200517195632p:plainチベット系民族タングートの伝説。西夏王国は現在の寧夏回族自治区に存在した。西夏文字を発明。1227年、モンゴル帝国チンギス・ハーンによって滅ぼされる。ナレーション曰く、カラホトを包囲され、水を絶たれたバティルは城内に井戸を掘るが、ついに一滴の水を出なかった。いよいよこれまでかと覚悟し、財宝を井戸に投げ込み、妻と子供を殺して埋めた。自らは城外へ出て戦いを挑み、呪いの言葉を吐きながら息絶えた。その後、カラホトから財宝は一向に見つからず、赤と緑の鱗を光らせた一匹の蛇だけが這っていた。人々はバティルの悪霊だと噂した。

f:id:guangtailang:20200517195703p:plain流砂に埋もれて。悠久の趣きあるショット。