川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

黄璐

『中国娘』(2009・郭小橹 原題 She, A Chinese 中文名 中国姑娘)をDVDで。観ていて思いましたが、主演の黄璐(ルー・ホアン)の顔が良いのですね。化粧っ気もなく、ともすればふてぶてしい面構えですが、純真を秘めており、それが見え隠れする。女性に面構えと言うのもあれですけど、タフな彼女への褒め言葉になります。中国娘にはたしかにこうゆう人がいる。蛇足ながら、维基百科によれば彼女の両親は四川にある核物理研究所の研究員とあります。思い出したのですが、以前、フェイスブックで黄璐さんの照片をよく眺めていました。5年位前か、彼女が地元の成都かどこかの酒店の廊下にシンプルなワンピースで立っている照片をたまさか見かけて、その佇まいになにかしら惹かれるものを感じ、フォローしたのでした。背後の窓外にはビル群の凹凸が見える。その時に中国の女優ということを知りましたが、この映画を知ったのは最近です。【以下、ネタバレあり。役名では呼ばず、俳優の名で呼んでいます】

f:id:guangtailang:20200411190232p:plain冒頭、ロックが流れ、化粧っ気のない黄璐が海岸沿いを歩いている。終いまで観ると、これはすでに何人かの男を通過したあとなのだとわかる。若いのに甘さの少しもない表情。これも蛇足ながら、璐の字は朴璐美と一緒だ。

f:id:guangtailang:20200411190312p:plain四川の乡下での生活に倦んでいるさまが描かれるが、内陸のド田舎は本気で殺風景だ。この映画はパートを区切るかたちでキャプションが挿入され、それでわかるのが彼女はこの地域から出たことがない。すなわち、海を見たことがない。この事実はわりかし重要だと思う。ちなみに导演の女性、郭小橹は浙江省出身のようだ。

f:id:guangtailang:20200411190344p:plainこんな刺激も可能性もない場所で青春を空費していいのかと、その表情が語っている。すでに限界が近づいているのだ。何かのきっかけで感情が破裂し、即座に行動に移すだろう。

f:id:guangtailang:20200411190429p:plainこれがキャプションのひとつ。「大きなメガネの男」は母親が見つけてきた見合い相手。バスを降りてふたりが挨拶を交わす傍らで、車酔いした女が嘔吐している。せめて裏まで行って吐けよと思うが、あ、大陸と思ってしまう。のちに出てくる大蛇を巻いたおばさんがスクーターで川べりに乗りつけて水浴させたり、細部の挿話に大陸のリアリティを感じる。

f:id:guangtailang:20200411190504p:plain重慶という大都会(人口3千万!)に出てきて、縫製工場でアルバイトするが、彼女はすぐに馘首される。ここでくすぶっているのも違うという気持ちが仕事の粗雑となってあらわれたのか。無論、乡下には帰らない。田舎の店には自分を強姦したトラック野郎も来るし。床屋に飛び込み、働き始める。いかがわしいネオンの床屋は風俗で、ここはそうゆう店だ。

f:id:guangtailang:20200411190552p:plain床屋の隣りに見るからに危なそうな、傷だらけの大钉(スパイキー)が住んでいる。河南省出身の彼は黄璐にヌンチャクで己を打たせるが、これには笑った。どうゆうコミュニケーションやねん。でも、いるもんなこうゆう人。デラシネのふたりは親しくなるが、大钉の生業が危険過ぎて、ある日、彼は瀕死の状態で帰宅する。彼女は彼の溜めた金を持って雑踏を彷徨い、欧州旅行の広告が目に留まった瞬間、心は決まる。大钉の部屋のカレンダーにビッグ・ベンが載っていたから。重慶でも詰んだし、もう、できるだけ遠くへ行きたい。

f:id:guangtailang:20200411190629p:plainツアーから抜け出し、ロンドンの片隅で生活を始める。しかし、裸体を晒して人体模型をやるアルバイトとか、凄いな。彼女はタフだから屈辱にまみれても心は折れず、すぐさま新しい行動を起こす。そんな中、整体院で英国人の老人と知り合う。彼は白人としてのプライドだけ高く、見るからに退屈そうな男だが、銀行口座(生活の基盤)がないことを理由に、彼女は妻を亡くしたばかりの老人と結婚する。ふたりで海を眺める場面がある。彼女はこの時、初めてちゃんと海を見たのではないか。

※海を眺めながら、老人の問いに「泳げない」と黄璐は呟く。中国人の大半は金づちのような気がする。Hさんにその理由を訊いたことがあるが、学校にプールがない、従って水泳の授業や部活もない。スイミングスクールはあるにはあるが、日本ほどには全然一般的じゃない。競泳のアスリートは選ばれた人間がやっているだけだ、との答えだった。

f:id:guangtailang:20200411190803p:plain老人との生活にうんざりしていた折、家に来た宅配のインド人青年と親しくなり、彼の部屋に転がり込む。しかし、彼との生活も長くは続かない。盗品をプレゼントされるのは我慢がならないし、豚肉を禁忌とする食習慣も合わない(青年はムスリムなのだ)。しばらくして妊娠がわかる。そのことを告げると、彼は英国になじめないからインドに帰ると言い出す。要はゆきずりの女に対して何の責任も取りたくないのだ。彼女は荷物をまとめ、家を出る。そして、海岸沿いを歩く。冒頭、彼女の腹部は映し出されないが、かなり大きくなった状態で歩いているのだ。これからどこに向かうのかわからない。どこかに向かうとして、どんな手続きが必要なのかも知らない。しかし、海のない袋小路に引き返すよりも、タフ・ガールは海のある場所へ向かうのじゃないか、と想像した。