月が替わって今年もあと1ヶ月。インプラントの土台は周辺組織と結合しつつあるが、仮歯は来年になってしまうだろう。費用も期間も手順も事前に知ることができても、いざやってみるとまた違った感慨を抱く。ここに至るまで一進一退の攻防もあったが、やる前は観念的で、やってみたら即物的になるというわけだった。やっとここまできた肉の盛りを手鏡で毎日見ている。
11月30日、晴れ。仕事を終え帰宅すると、J SPORTSでラグビーの試合を観る。ラグビーロスと言われればそうなのかも知れない。どんな試合でも観たい。1月にはトップリーグの試合を熊谷まで観に行く。いちにんで。年を跨ぐ高校ラグビーは昔からテレビで観ている。今年のAシードは桐蔭学園、御所実業、京都成章の3校で、大阪勢は全部Bシードなんだ。もうとっくに鬼籍に入っている神戸の祖父の兄弟が関学でラグビーをやっていたらしいが、顔も知らない。それを言った母親はラグビーにほとんど関心がないが、このスポーツが関西で盛んなことは知っている。
なかなかの接戦を繰り広げている。解説者がオールドファッションな試合を楽しみましょうと言う。
162cm、93kgの体軀で一矢報いる。
最後まで拮抗しておもしろかった。両校に私の知り合いもいないので、どっちに肩入れするでもなく、ニュートラルに見られた。
夕刻。大学時代の友人たちと待ち合わせした店に赴く。新宿は久しぶりで、駅周辺のおめかししたひとびとの波に目が回る。今の私には大き過ぎる街だ。店が近づくと人気が少なくなり、一息つく。
陋巷と呼ぶに相応しい佇まい。ただ、においは漂ってこない。寒いから締め切っているのか。ほんとうに正月夜のような底冷えがする。
別館のようなところに案内される。開店間もないこの時間は客がいないが、30分もすると満席となった。客のほとんどはわれわれより若い日本人で、あれ、中国人がいないとふと思う。厳密には後ろのテーブルに日本人のおやじに連れられてきたとおぼしい中国人のおばさんがいたのだが、1時間もしないうちに帰った。
青島ビールを飲んでいるうち羊肉串が食べたくなり、分厚いファイルのメニューをみるのも面倒なので、服務員のおばさんに「ヤンロウチュアンありますか?」と訊いたが、何度言っても聞き取ってもらえない。これはどうしたことか。日本の中国料理店は勿論のこと、大陸の餐厅でも、この言葉だけは聞き取ってもらえなかったことはない。浙江省諸曁市に行くたび足を向ける新疆人の店で、おもしろがって日本人の私に注文させるというゲームがあったが、あの時も一発で新疆人は聞き取ってくれた。問答するうちかろうじてヤンロウは聞き取ってもらえたようで、ファイルのメニューを繰って羊肉料理を示されるが、羊肉串はないようだった。それにしたところでヤンロウチュアンを知らないことから、このおばさんは中国人ではないのかも知れなかった。
友人たちは旬だと聞いていた上海蟹(大闸蟹)の蒸したやつがさほどうまいとは思えなかったようだ。私が感じていたのは先述したように中国人の客がいないということで、ここは彼ら彼女らの舌を満足させる店ではないのだろうと考えていた。向こうの大テーブルに目を転じると、若人たちがビニルの手袋をはめてザリガニ(小龙虾)を食っている。メニューにはいわゆるゲテモノもあるのだが、Hさんの朋友や大陸の親類縁者がそうゆうものを食べているのを見たことはないし、また勧められたこともない。われわれ皆初めて訪れた店だが、雲行きはあやしかった。
结帐の金額がメモ書きで示された瞬間、われわれは目を疑った。敢えて金額は書かないが、見積もっていたよりもひとり2,000円は高かった。前回集まった時、泥酔して嘔吐もしくは酷い二日酔いに苦しんだわれわれは酒量をある程度セーブしていたので、計算間違いとすら思ったが、もう二度と来ることはないのだからと皆心の中で呟きながら支払い、Kの先導で24時間営業の喫茶店へと足早に向かった(酔っ払いが会計で揉めているのはみっとも良くないので)。
1日、夕刻。Hさんが過日の伊豆日帰りバス旅行で知り合ったおばさんが服務員をしているという店で晩飯。この店には一度来たことがある。たしか大連発祥の店じゃなかったかしらん。明るく照らされた店内に猥雑さも陰翳を礼讃する余地もなく、ファミレスのようなシンプルな内装で、タッチパネルで注文する。
きのこ鍋の店なのでヘルシーで良いのだが、けっこう食ってもあとで腹が減る。無論、きのこ以外にもいろいろな食材がある。値段はどれもそこそこする。
ここでは普段羊肉を好まないHさんもベイハイダオ産のやつをむしゃむしゃ食べていた。
ヤンロウチュアン,、ウーガは一発で通じましたよ。