気がつくと、鶴岡抄太郎は佐野市出流原町の池の畔に佇んでいた。ゼリーのようにもみえる水面。水が澄み切っていて魚が宙に浮かぶようなのは忍野八海以来だろうか。あすこは観光地然としている上に中国語が飛び交っていたが、こちらは小ぢんまりとして落ち着きがある。
23日午前、クルマは高速で横風に何度もあおられた。吹流しも派手に暴れている。しかし車内は風を切る音以外静かで、流れている荒井由実の「何もなかったように」の語句がやけに沁みて感傷的な気分になる。
昨夜の吹雪は 踊りつかれ
庭を埋づめて 静かに光る
年老いたシェパードが 遠くへ行く日
細いむくろを 風がふるわす
人は失くしたものを
胸に美しく刻めるから
いつも いつも
何もなかったように
池の附近をぶらついているうちに小雨がぱらつき、クルマまで傘を取りに戻る。ついでに空のポリタンクと2Lのペットボトルを持ち出す。湧水があるのだ。
雨に濡れる磯山弁財天。白蛇が祀られている。
山肌から張り出した見晴らしの良いお堂。佐野の人口は11万8千余。かつて例幣使街道の宿場町として発展した。雨はあがったか。
弁天池向かい、ホテル一乃館の玄関脇で湧水が汲める。鶴岡抄太郎が汲む前に60代半ばのおやじが汲んでいたが、やはりポリタンク3個を持参しており、鶴岡抄太郎は己の汲む量をいかにも少なく感じた。
弁天池にある売店で味噌こんにゃくといもフライを頂く。ともに100円。こんにゃくをさらに1本追加する。少し離れたテーブルにスペイン語を喋る夫と日本人の妻、その子どもと夫の父親とおぼしき白髪の大柄なじいさんがいて、やはり軽食を食べている。子供のひとりの女の子が売店の方によちよち歩いていき、何か喋っている。店のおばさんが出てきて、「何がほしいの? 何かほしいものあるの?」と問いかける。女の子は二重瞼をぱちくりさせて今度は何も言わない。そんな光景を見るともなく見ていた。
ポリタンクと道の駅どまんなか たぬまで買った野菜。どまんなかとはWikipediaによれば、「…旧田沼町が北海道の宗谷岬と鹿児島県の佐多岬から同じ距離に位置し、日本列島の中心を名乗っていたことに由来する。」
時刻をみるとまだ午後2時を廻ったところ。ラグビーW杯の試合も夜までないので、思いつきで北関東道を東へ向かう。結局、好きな音楽を流しながら空いた高速をひた走り、そのあいだ浮かんでは消える情緒を弄びたいのだ。車外では相変わらず吹流しが暴れている。海に近づくほど空は晴れ渡った。
気がつくと、鶴岡抄太郎は茨城県東海村の原子力科学館の駐車場にクルマを置いていた。降車した瞬間、強風で頭頂部の薄くなった髪がめちゃくちゃになぶられ、手櫛で何度も撫でつける。受付でどこから来たか記し、入館。
「常設展示のご案内
展示館のコンセプトを
見どころは別館の方で、1999年9月30日にこの地で起こった東海村JCO臨界事故の経緯が、現場となった沈殿槽の模型までつくって展示してある。当時、鶴岡抄太郎は20代の前半に達していたが、ニュース映像があいまいに浮かぶ程度で鮮明な記憶は結ばれない。だから、ひっそりと積んである事故についての黄色い小冊子をもらってきた。
むしろ同じくらいの年齢で観た映画『太陽を盗んだ男』(1979)のぎらついた映像をめざましく思い出す。あれは東海村の原発からプルトニウムを盗み出すのだ。主演の沢田研二が伏臥し、金網越しに施設を下見するシーンが浮かぶ。