川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

さみしさと海

自動ドアがうぃーんと左右に開くとそれにつれてタイトルバックがあらわれる。そしてドアが中央に向かって閉じていくとタイトルも消えていく。『ダイアモンドは傷つかない』(1982・監督 藤田敏八)をDVDで。観るのは3度目くらいか。【以下、ネタバレあり。役名では呼ばず、俳優の名で呼んでいます】

f:id:guangtailang:20190605194606p:plain田舎から出てきた優等生、田中美佐子。この映画では新人なのだが、脱ぎっぷりがいい。当時、田中に限らず女優が惜しげもなく脱ぐ一般映画がたくさんあった。原作が早稲田の学生の書いた小説なので、田中も一浪して早稲田に入学する。

f:id:guangtailang:20190605194639p:plain予備校講師山崎努との愛の巣。インテリアに味がある。ここには映っていないが、むやみにでかい壺が並んでいたり。生活感がないとか殺風景だとかいうのと違い、奇を衒っているほどでもないのだが、藤田の映画は置物、絵画、ポスター、部屋の調度が風変わりなので注視している。

f:id:guangtailang:20190605194738p:plain山崎がどういう男かというと、先ほども述べたように予備校講師をして高給を取りながら、妻の朝丘雪路、娘の石田えりと営む家庭の外に、加賀まりこのマンションとこの愛の巣を持っている。つまり三重生活のようなことをやっているのだが、それぞれの女性と上手に付き合って波風立てない器用さがあるかといえば、どうもそんなことはない。娘より若い田中にけっこう本気になってしまったりもする。互いに牽制し合い我慢(さみしさ)の限界にきた女たちに責められるとおろおろし、やがて彼女らとの関係は破綻をきたす。ただまあ発端として、甲斐性があってこの通り撫で付けられた髪に苦み走った顔で言い寄られると、女の傘に入れてもらえるというのはあるだろうと思った。この映画と前年の『スローなブギにしてくれ』のムスタングの男を山崎は40半ばで演じており、その渋みに驚かざるを得ない。

f:id:guangtailang:20190605194818p:plain剥製のある呑み屋で。田中は周囲の同級生に物足りなさを感じて山崎と付き合っている面もあり、わりと高慢な物言いを山崎に対してもするのだが、それが優等生の背伸びというものなのだろう。

f:id:guangtailang:20190605194904p:plain帽子屋を営む加賀のマンション。突然、酔った山崎と田中が訪れても大人の余裕で対応する。この当時よくあったテーブルに華やかなビニルクロスを被せる習慣はこうしてみると意外にいいもんだと思う。今なら昭和レトロと呼ぶのかしら。

f:id:guangtailang:20190605194939p:plain加賀は貯金をはたいて空色のクルマを買い、そのまま旅に出るという。田中という小娘の登場により、自らの位置のさみしさを痛切に感じたのだ。それでいつ帰ってくるんだ、と山崎はおろおろする。火曜日かな、でも延びるかもしれない…。

f:id:guangtailang:20190605195016p:plainさみしさを痛切に感じたら、海のある場所に向かう。これは個人的にも非常に理解できる行動だ。最初に観た時から妙に印象に残る場面だった。日本は島国だから、とにかくクルマを走らせればどこかの海辺に到達する。

f:id:guangtailang:20190605195052p:plain古本屋の物置の向こうに砂浜や海がみえる。秀才の予備校生と追っかけっこの末、襲われる田中。

f:id:guangtailang:20190605195121p:plain朝丘の弟、小坂一也の妻中山よう子。山崎の爛れた生活、家庭の破綻を弥縫策でしのごうとする愚かさにうんざりする。夜中に転がり込んできた彼が朝、予備校に遅刻するといって慌てて出かけるのを軽蔑のまなざしで見送る。シャツがかっこいい。今なら昭和レトロと呼ぶのかしら。

f:id:guangtailang:20190605195238p:plain加賀にゴルフクラブで顔面を殴られ、派手な傷をつくった山崎と対面する石田。その場所は田中を初めて誘った呑み屋だ。家庭を顧みない父親の愚劣さに愛想が尽き、あんたなんか独りで生きればいいと捨て台詞を残し、店をあとにする。

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