川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

艶めかしい鞏俐

『菊豆』(1990・監督 張藝謀、楊鳳良)を大陸版DVDで。1920年代の中国内陸部の小鎮が舞台。鞏俐(コン・リー)が20代半ばで菊豆を演じている。ひたすら彼女ばかりに見惚れる映画。冒頭の15分くらい鞏俐は喋らず、染物屋の禿げおやじ金山に折檻され、悲鳴を漏らす。

f:id:guangtailang:20190516120957p:plain染物をやるのにこんな大袈裟な仕掛けがいるのかと思うのだが、どうやら張監督が見映えを重視したらしい。そもそも原作は農家だったのが、色彩の鮮やかさを考慮して染物屋に設定を変更した。この監督らしい。【以下、ネタバレあり】

f:id:guangtailang:20190516121033p:plain光が美しい。

f:id:guangtailang:20190516121111p:plain金山は自分が不能であるにもかかわらず、子供のできない原因が菊豆にあると考え、彼女を折檻する。金山の下で働く甥の天青はそれを見るにつけ聞くにつけ、だんだんといたたまれなくなる。そのことに菊豆も気がつく。天青が彼女の入浴を覗くための穴を板塀に穿っているのを発見するや、菊豆は折檻で傷ついた躰を穴越しに天青に見せつけるだろう。

素晴らしい石の町並み。

f:id:guangtailang:20190516121143p:plainファム・ファタールとまではいえない。菊豆は現在の地獄から青天に縋ることによって抜け出そうとしているのが第一義なのだろうが、彼女が異様に艶めかしいので天青が籠絡されているようにもみえる。いきおい彼は菊豆を押し倒し、干した染布がしゅるしゅると落ち、染料池の水が跳ねる中でことに及ぶ。

f:id:guangtailang:20190516121326p:plain今天じゃない、今儿だから。なんたる北京語。この映画は全編、翘舌音(卷舌音・反り舌音)で喋られる。鞏俐の発話は聴き取りやすい。さすが瀋陽出身。個人的な話になるが、かつてBさんという瀋陽人の女性に中国語を教わったことがあり、この方もきれいな普通話を話したが、それよりも彼女の日本語の発話に驚嘆した。ほんとうにクセのない、たとえるなら劉セイラさんのような日本語だった。なぜそんなにも日本語がうまいのか、私は訊いた。彼女が答えるには、自分は日本の大学に進学するため来日したが、その時点で親類縁者はこちらにいなかった(これは瀋陽人とすれば意外なことだ。つまり、それほど瀋陽出身の在日中国人は多い)。それで日本人の友人とだけ付き合い、そのあいだ話題についていくため必死に日本語を勉強したのだ、と。テレビドラマをよく観ることも日本人の日常会話を学ぶのに非常に有益だったという。

f:id:guangtailang:20190516121445p:plain閑話休題。菊豆が妊娠し、その子天白が生まれる。金山は自分の子だと思い、喜ぶ。それから間もなく金山は倒れ、下半身が不随となってしまう。これにより彼ら三者の立場が変わる。菊豆と天青は露骨に仲睦まじく、金山を蔑ろにし、車輪のついた樽に入れて中空に持ち上げ、彼を放置したりする。金山は呪詛の言葉を吐くのがせいぜいだ。

f:id:guangtailang:20190516121527p:plain安徽省黄山市黟県で撮影されたとあるが、これもそうなのかな。ほとんどCGのようにすらみえる。

f:id:guangtailang:20190516121608p:plainこのふてぶてしい面構えの天白こそ、アンファン・テリブルである。赤ん坊の頃から笑わないので不思議がられていたが、事故で金山が染料池に落ち、もがくのを見ながら大笑いする。長じて、彼は天青に少しも懐かず、ある日、菊豆と天青が地下室で抱き合いながら意識を失っているのを発見すると、母親を寝床まで運び上げ、父親は染料池に放り込んだあと、もがき上がろうとするのを薪で叩き落とす。天青は絶命する。意識を取り戻した菊豆はその光景を目の当たりにしたことで絶望し、染布に火を放ち、炎炎と燃え盛る染物場に立ち尽くすのだった。

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