川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

青紅

『青红(チンホン・別題〔我十九〕 邦題〔シャンハイ・ドリームズ〕)』(2005・監督 王小帅 ワン・シャオシュアイ)を大陸版DVDで。ジャケットにも“第六代”と書いてあるが、王小帅は贾樟柯(ジャ・ジャンクー)や娄烨(ロウ・イエ)と同世代の扱い。【以下、ネタバレあり】

さて、この映画の舞台はまだ文化大革命の影響が色濃く残る1980年代初頭の貴州省貴陽市郊外。上山下郷運動(下放)で上海からこの地に移住した両親のあいだに生まれたのが青紅。歳月が流れ19歳になった彼女は父親の反対にもかからわず、地元の青年小根と淡い恋を育んでいる。父親には上海に帰ろうという強い意志があり、ふたりを引き離そうとするのだが、それが結果的に悲劇を生む。なんとも苦い味わいの結末が用意されている。

f:id:guangtailang:20190510224407j:image右が封建的な態度で娘に臨む父親。映画の前半、いくらなんでもそれは干渉し過ぎだろうという風に観ている者は思う。が、後半になってくると父親の気持ちもわからないではないと感じる。当時の中国の歴史的背景を考えると、父親もその悲しみを否応なく背負わされているのがわかるから。ちなみに、青紅(高圆圆)はどこかしら柴咲コウに似ている。

f:id:guangtailang:20190510223557p:plain小根にプレゼントされた赤いヒール靴を試し履きし、嬉しさが隠せない青紅。左の木陰にいるのが親友の小珍。彼女は青紅と訪れたダンスパーティで不良男と恋仲になるが、男が地元の娘を孕ませ結婚させられてしまうと、意を決して失踪するだろう。

f:id:guangtailang:20190510223644p:plain小珍宅にて。同じ下放された家庭でも、小珍の両親はわりあいにものわかりがよく、しなやかである。室内の調度も青紅宅と比べると洗練されている。

f:id:guangtailang:20190510223729p:plain前述の不良青年。秦昊が演じる。

f:id:guangtailang:20190510223806p:plain不良少年と小珍が自転車で町を散歩していると、屋外に大きなスクリーンが張られ、日本のバンド演奏の映像が流れている。ふたりはしばし見入る。河川敷みたいな場所で、周囲に若いママと小さい子供たちがいたり、土手の向こうに団地が映ったりする。これは何の映像だろう。テレビドラマの劇中映像のようにもみえるんだ。ドラムが奥田瑛二のようにもみえるし。いずれにしろ80年代初頭、近代化という尺度での彼我の差は大きかった。ましてや中国の内陸部と日本の都市部では。

f:id:guangtailang:20190510223851p:plain小珍を慰める青紅。しかし青紅自身、父親の管理が日に日に強まり、心を痛めつけられているのだった。印象的なのが、父親が小根と入浴場で遭遇し、青年が出ようとするのを話がしたいと押し留め、娘からの伝言だと嘘をついて別れさせようとする場面がある。この時、浴槽の水に揺曳する光が青年の顔や上半身に反射して、青年の心理の不安定さを外在化しているようだ。焦燥に駆られた小根は夜、青紅を呼び出し、口論の末、彼女を強姦するだろう。その際に小根が、やっぱり上海人は地元の人間を馬鹿にしているのかみたいなことを口走る。

f:id:guangtailang:20190510223932p:plain娘が強姦されたことを知り、小根が働く工場にずぶ濡れであらわれた父親。彼は娘の前途を誰よりも気にかけていた。今や憤怒の河を渉り、小根を殺そうとする。

f:id:guangtailang:20190510224022p:plain結局、工員たちに抑え込まれるが、彼は小根を強姦犯として公安に告発する。事ここに至り、精神を病んだ娘が手首を切ったり、妻との関係が悪化したりし、家庭の危機が深刻なのを感じた父親は、ついに上海へ夜逃げすることを決断する。

彼ら一家がジープに揺られ、町のとある場所に差し掛かると前方がつかえている。すると拡声器で人名と罪状が読み上げられ、銃殺刑に処される人々を乗せたクルマとすれ違う。その中に小根の名前もあった。

f:id:guangtailang:20190510224111p:plain夜な夜な日活ロマンポルノを観ている身からすれば、強姦即銃殺刑は衝撃的だった。先日、性愛ゲームのようなロマンポルノを観たばかりなのだ。それぞれの映画はほぼ同時代を描いているのである。無論、それが日本で強姦が許容されることを意味してはいない。ただ、男女の性愛に対する中国の厳格な保守性と日本のノンシャランな開放性を好対照に思ったのだ。「性に奔放な日本人」という印象を一般の中国人は現在でも抱いているが、性愛につけても80年代初頭の彼我の差は果てしなく大きい。