川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

陋巷

最近、ひょんなことから立派なキャビネットを譲り受け、事務所の2階に置くこととなった。整理した書類を内部に収納し終え、遠目に眺めていると、キャビネットの上が少し寂しい。何か飾ろうとごそごそやっていると、父親が昔に中国のどこかで買ってきたらしいカメラ、海鴎が出てきた。ガラス戸棚の奥の方に仕舞われており、使った形跡はなく真新しい。カメラのことは詳しくないので、念のため、Wikipedia百度百科で調べてみた。

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海鴎の誕生──クラシックなブランドのひとつ。並々ならぬ使命を帯びて始動した。

前世紀の60年代初頭、中国の国防、公安、新聞、医療、科学研究、体育などの分野に於いて、国産の高級一眼レフカメラの必要性が差し迫っていた。中国の工業基礎力がまだ非常に薄弱な状況下で、上海カメラは喫緊その命を受け、1964年に中国初の高級一眼レフカメラの開発に成功した。──上海DF-7型である。(照訳)

27日の昼飯、鶏肉のピリ辛炒め。店の真ん前、すなわちバス停のところで歩道の敷石を大々的に引っぺがす工事をやっており、傍にいた黒ずんだ顔の男に一声かけ、ユンボのあいだを縫って入店する。中国でもこんな感じで入店したことがあるな、とふと思う。

f:id:guangtailang:20190227114039j:image26日夜、斎藤耕一野口五郎を主演に撮ったいま1本の映画、『再会』(1975)を観る。横浜が舞台。この港町が出立・別離の記号であるということはよく云われるが、この映画もまさにそれで、野口の姉、江波杏子がある男、池部良とともにサンパウロ行きの船に乗るまでの3日間を描く。【以下、ネタバレあり。役名で呼ばず、俳優の名で呼んでいます】

f:id:guangtailang:20190227115812p:plain横浜の場末の安宿を訪ねる江波と野口。ふたりは岐阜から出てきた。当初、ひとりで旅立つ予定だった江波に、姉思いの野口がくっついてきたかたちだ。グリーンのコートを纏い、お姉さん風を吹かせる江波さんがとてもいいですねえ。こういう人に叱られたい。

f:id:guangtailang:20190227115844p:plain薄汚れた屋内に剝製やらシャンデリアやらある奇妙な宿。猫を抱っこした主がのっそりとあらわれる。

f:id:guangtailang:20190227115943p:plainこの画角、エッジの利いたというか、シャープな江波さんの顔がよくわかる。劇中で30歳だという台詞があるが、実際は32歳くらい。美しい。ちなみに柳ヶ瀬でホステスをしていたという設定。

f:id:guangtailang:20190227120015p:plain池部に反感を隠さない野口。大人の余裕で対応する池部。そのあいだで場を取り繕う江波。

f:id:guangtailang:20190227120103p:plain江波がいなくなったことで場が持たず、タバコを挟みながらさてどうしたものかと思案する池部。横領の嫌疑で警察に追われ、安宿に潜みながら姉を連れて高飛びしようとしている彼を、野口は人生に負けた人間と面罵する。それでも池部は冷静な態度を崩さない。野口は池部の出してくれた50万の封筒をちゃっかり懐に入れ、外に飛び出す。ちなみに当時、20代を過ごした母親に、あの頃の50万円は今でいうとどれくらいの感覚なの、教えてくれろと云うと、「7、80万くらいでしょ。そんなに変わらないわよ」という答えだった。

f:id:guangtailang:20190227120145p:plain山下公園のベンチで寝ていると、少女がひとり近づいてきて、「遊ぼ」と云う。最初は逡巡する野口だったが、少女の勢いと可愛らしさに押され、半日あちこち連れて廻る。これは遊覧船で、背景にホテルニューグランドがみえる。

f:id:guangtailang:20190227120220p:plain少女の白いタイツとブーツがかわゆらしい。この後、野口はパトカー警官の職務質問を受け、誘拐を疑われたあげく、署内で一晩を過ごすことになる。そして、そのあいだに姉と男を乗せた船は出航してしまう。埠頭に茫然と立ち尽くし、やがて「姉さん、頑張れよ」と呟く野口。この映画の題名が『再会』なわけである。

f:id:guangtailang:20190227184403j:image福建喫茶が再開されたのを確認し、Hさんの帰りが遅い今晩行く。真ん中の座席につるっ禿げの大柄な男がいる。手前のテーブル(これが麻雀ゲームのやつなのだが)には食い終わった焼き魚の皿がそのままになっている。久しぶり、とママに挨拶しながら奥の座席に腰かけ、「中国の料理なんかある?」と訊く。この場合、福建料理という意味なのだが、ママが厨房から出てきて、「牡蠣とマテ貝のスープあるよ。どっちがいい?」とにやにやするので、どちらがいいか問うということは、牡蠣とマテ貝の混じったスープではなく、牡蠣のスープかマテ貝のスープ、いずれかを選択せよということか。じゃあ、マテ貝で。というのも今週末、福建の牡蠣料理は食べる予定があるのだから。それで出てきたのがこのスープ。うまい。貝の量も多めにしてくれたようで、海鮮の滋味を存分に愉しんだ。「横浜で食べたら、2、3,000円するよ」とママは云ったが、会計の際、こんなもんでいいのというくらいしか取らなかった。本来は息子や娘など家族で食べる用なのだ。

ところで、ママともっともらしい税関の話をしながら熱燗を飲んでいた先ほどの海坊主が、结帐とか多儿钱とたしかに云ったと思うのだが、なかなか堂に入っていた。それで不意に思い出したことがある。今はもう建物自体が無くなってしまったが、かれこれ5、6年前、三ノ輪の中国料理店に通っていた時期がある。そこは揚州出身の若い男の料理人と北京出身の20代の女性服務員がやっていたのだが、本格的で値段もリーズナブルなので、昼のみならず夜も結構お客さんが入っていた。ある晩、私がいつもの席で食事しながら紹興酒を3杯くらい飲んで、脚のすらっとして綺麗な、黒縁眼鏡の服務員とお喋りしていると、向こうの席で流暢な中国語を操り、料理人となにやら料理の専門的な話をしている、四角い顔をした日本人の中年紳士がいた。酒と肴しか注文していないようだ。すると、おもむろに紳士が鞄から分厚い大きな本を取り出し、料理人に向けて開いた。それは満漢全席か何か、豪勢な料理を美しく撮った図鑑のようなものだったと思う。服務員も私との会話を切り上げてそちらに行ってしまい、頁を繰るたび、弾んだ声を上げている。ついに私もみに行ってしまった。そこで今考えると不覚にも、酔った勢いでたいしたこともない中国語をべらべらと口唇に上らせたのだ。料理人と服務員が去ったあと、「中国語、お上手ですね」と紳士が私に云った。「いやあ。それよりさっき、すごい中国語でお話されてましたよね」などと返し、「中国語を使うお仕事か何かされているんですか?」と問うと、「そういうわけでもないんです」。私は席に引き返した。その紳士と会ったのも話をしたのもその時だけだが、のちにその人が英文学者で、多数の翻訳・著書があることを知る。写真をみて、ああ、この人だったと。なんだ、英語のプロの上に、あの中国語か。インテリは陋巷にいます、かよ。Wikipediaに載っているが、中国の食文化への造詣も深いらしい。その手の著作もいくつかある。というわけで、海坊主も私なんか及びもつかない中国語の使い手にして、中国文化への造詣も深かったりするかも知れない。

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28日、雨。四川風茄子の山椒揚げ。これは酒が飲みたくなっちゃって、ランチで注文する料理ではなかった。米の量はもっとも少なめ。f:id:guangtailang:20190228162707j:image