川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

塔と歳月

気分がくさくさするので、もう昼が近かったが、神栖までいちにんでドライブ。天気はいい。

Hさんが当初、ある問題をさも重大事のように云い募るから、こちらも彼女の気が済むように行動を起こした。それで時間が経過し、依然問題は解消に至っていないので、あの事はと問うと、それはもういいのだとか、重要じゃないとか、関係なくなった、などと答えるのだ。先日取り上げた「中国人本」の顰に倣えば、彼女は問題が只今現在「どれくらいあるのかないのか」の量で考え、都度臨機応変に判断しているということなのだろう。しかしこちらは、問題は未だ存在しているのだし、その解消のためすでに費やした労力も少なくないので、途中でうっちゃったようなことを云うべきじゃない、とスジ論を展開する羽目になる。ま、ちょっと「量」と「スジ」にきれいに当て嵌め過ぎたな。そんなことをつらつら考えながら、一路、鹿島コンビナートを眼前に臨める塔を目指す。ちなみにHさんは西川口に行った。

f:id:guangtailang:20190217191441j:plain涙ぐましいブルーの空を背景に屹立する展望塔(52m)。広場の煉瓦色も映えている。

f:id:guangtailang:20190217191724j:plainこれは帰りに佐原PAの展望台から撮ったパノラマ。利根川の左向こうに潮来の街並み、その奥には鹿島サッカースタジアム、さらにその後ろには太平洋があるはずだ。

f:id:guangtailang:20190217191958j:image塔のある港公園に行く途次、こういったいかにも工業地帯といった道路を通る。

f:id:guangtailang:20190217192046j:imageこれは何度でも云いますが、神栖市に鉄道の旅客駅はありません。鹿島セントラルホテルの下がバスターミナルになっており、そこが交通の拠点です。

f:id:guangtailang:20190217192238j:plain鹿島港。開港は1969年だが、石原プロの『甦える大地』はその2年後に公開されているんだな。念のため、以下に映画のあらすじを。Amazonのプライムビデオから拝借しました。

f:id:guangtailang:20190217192321j:plain「寛保・弘化の利根川大洪水や度重なる水害から鹿島の農漁民を救うため、水戸の郷士・中館広之助(渡哲也)は住民を集め治水工事に励んだが失敗。中館は自殺し、彼は狂人と呼ばれた。数百年後、茨城県知事岩下三雄(岡田英次)を中心に鹿島開発の気運が盛り上り、開発職員で熱血漢・植松一也(石原裕次郎)は、建設省の辣腕家・野田鋭介(三國連太郎)を動かし、鹿島開発がスタートした。しかし農漁民の土地への執着は開発工事を進める大きな壁となり、土地買収は困難を極めた。気の強い女教師・添島美奈子(司葉子)は工事に反対をしていたが次第に植松を理解する。試験堤建設を実現後、企業を誘致し鹿島コンビナートは巨大な姿を現わす。だが結果は、植松が頭に描いた“緑の楽園"とはあまりにもかけ離れ、いかがわしく、人々が群がり札束が舞う。赤々と燃えるコンビナートは得体の知れない化物のようだった。製作著作:株式会社石原プロモーション」(Amazonプライムビデオ より)

f:id:guangtailang:20190217192408j:plain映画から48年の月日が流れました。

下りは210段あるという階段を使う。

f:id:guangtailang:20190217192515j:plainf:id:guangtailang:20190217192611j:image尾崎紅葉の『多情多恨』(1896・明治29)を読み始める。現在でも使用されている「~である」調を定着させた作品。現代の眼で読むと若干ごつごつしたところはあるにしても、ふつうに読めてしまうのは驚きだ。そしてこのごつごつこそが大事なんだろう。こちらは小説から120年以上経った。ちなみに、リュミエール兄弟がパリで『工場の出口』や『ラ・シオタ駅への列車の到着』を上映したのが1895年か。これは渡部直己だったか、1894~1895年に日清戦争をやっている最中、こんな退屈なものを書いてしまうのは凄い、みたいな評があったな。

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